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2015/07/26

インサイド・ヘッド

Io 楽しい気持ちで人生を送れたら、それはとても幸せな事だろう。

しかし、人はいろいろな気持ちをあわせもちながら生きていかなくちゃならない。
きれいに割り切れない。相反する気持ちが同時に巻き起こる。そんな混沌とした渦巻きのようなものが、実際の人の感情である。

そしてこの映画は、それでよいといっている。
というよりも、色は混じり合うからきれいなんだと教えてくれる。黄色と青、初めて二色に輝く玉が生まれた時。それはこの映画の一番感動的な瞬間であり、また、ライリーがもはや子どもでは無くなった瞬間でもある。そういう意味では、子どもよりもかって子どもであった大人の方がより楽しめる、より共感できる映画であるといえるかもしれない。

日本語吹替版について①
今回は日本語吹替版での観賞でした。
いつものごとく、それは字幕版の上映がないため仕方なくした選択の結果なのですが、ヨロコビとカナシミ、相反する性格の二人を演じた竹内結子と大竹しのぶの素晴らしさに圧倒されました。この二つのキャラクターに共通するのは独特のテンションです。そして字幕版はそのテンションを音声と文字で表現しなければなりませんが、吹替版は音声だけで表現します。そのダイレクト感は、シンプルな分だけ吹替版の方が勝っているのではないでしょうか。字幕版でもこんなに生き生きとしたキャラクターとして表現できているのだろうか。吹替版でよかったと思ったのは初めてのことかもしれません。

日本語吹替版について②
『主題歌はドリカム』
当然、日本語吹替版のエンドタイトルのみドリカムの曲に差し替えられるのだと思っていたらそうではありませんでした。映画本編にはドリカムの曲は一切使用されていません。そう、『主題歌』というのはウソなんです(笑)。単なる予告編挿入歌でしかありません。今回の本編上映前に『特別企画』として上映されたドリカムのPVは、本編で完全にスルーされてしまったための措置だったのかもしれません。しかしこれは使用しなかったのが正解なのでしょう。なぜならそもそもこの映画のメインタイトル、エンドタイトルともに、ボーカル入りの楽曲は使われていないからです。それでも日本語吹替版のみ無理やり日本語楽曲を使用してしまう例が多いのですが、さすがはピクサー。その商品管理に妥協はありません。日本語吹替版だからといって手抜きのないその姿勢。傑作を連発するのは決して偶然ではないということがわかります。

44/2015

#714

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