ジュピター
極々普通の地球人の女性が、地球の命運を左右する大騒動に巻き込まれる。
典型的なスペース・オペラである。であるならば深みよりも勢いを重視した映画創りをすべきだと思うのですが、なぜかこの映画は小難しい世界設定を繰り出してきます。そしてそれらが全て不発に終わり、映画の足を引っ張るだけになってしまっているのが残念なところです。
ジュピターが地球の所有者である女王の生まれ変わりだというのはいいでしょう。しかしこれに対して悪の三兄弟が、彼女の正統性に重きを置きすぎるのはどうしてなのでしょう。わざわざ即位させたり、結婚して王位を継承しようとしたりと、非常にまどろっこしい攻略を繰り広げてくるのです。これは三兄弟が彼らをとりまく世界の秩序を非常に重視している、言い換えれば彼らの上位にはさらなる権力があり、彼らはそれらを恐れているということになるのではないでしょうか。そこまで描かなければ彼らの行動は説得力を持ちません。
しかし風呂敷を広げつつも説明不足に陥ってしまうのが、ウォシャウスキー姉弟のマトリックス時代からの悪い癖です。世界を構築しきれないまま、中途半端に複雑にして映画の勢いをそいでしまっています。結局この映画の展開というのはジュピターの拉致と奪還が繰り返されるだけなのです。そうならば敵はジュピターを殺そうとする長男のみで十分です。長男と狼戦士がジュピターの争奪戦を繰り広げればいいだけではないですか。スペース・オペラなら、物語はシンプルな方が映えるはずなのです。
今回敵方を三つに分けたところで、世界観に深みが増したわけではなく単に込み入ってテンポが悪くなっただけであり、かといってテンポを犠牲にしてまで織り込んだ設定は、物語に魅力を加えるところまでは遠く及んでいません。
でも。SF好きなのはよくわかります。
だから次を期待していますよ。
19/2015
#688
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