エクソダス:神と王
『グラディエーター』の成功の理由は、歴史に囚われることなく人間ドラマとしての面白さを前面に打ち出したことだと思う。
本作の予告編では兄弟のように育てられた二人の主人公が前面に出されており、この二人の友情と葛藤が物語の主軸になるのだろうと予想していた。ところがふたを開けてみると本作の主役はあくまでも神である。それとの対比で二人の主人公はとても矮小な存在となってしまっており、この段階で人間ドラマとしての楽しみはほとんど消失してしまったといってよい。
そして、その神のやり方が実にえげつない。
自らを神と称するエジプトのファラオ。神はそのファラオに鉄槌を下すわけだが、神は決してファラオに直接攻撃をしたりはしない。神が苦しめるのはあくまでもエジプトの民である。民に苦しみと恐怖を与え、それをもって権力者への圧力とするのである。この方法論は、モーゼを探し出すために罪のないヘブライ人たちを殺害したファラオのやり口とまったく同じである。
恐怖による人民への影響力の行使。結局これが唯一神の常とう手段なのだろうか。物語の終盤、海を渡りたがらない人民にモーゼはこんなことを言う。
「神を信じて渡るんだ。さもないと死ぬことになるぞ」
信じるか死ぬか。結局そんな選択肢ばかりが提示される。
とはいえ、災害関連のスペクタクルシーンはとても充実している。子供の頃の終末滅亡系の映画の様なシーンが超美麗に(よってやや気持ち悪く)描かれているので、それはそれで見ごたえはある。ただし肝心の物語自体が、原作(笑)がそうなんだからしかたがないとはいえ、実に後味悪く面白くなかったことが大いに残念だった。
07/2015
#675
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