ノア 約束の舟
旧約聖書『創世記』内のエピソードを上質なファンタジー映画に仕上げてしまったこの映画。そしてこの映画について考えるためには、『創世記』とこの映画の内容の差異について考えてみないとならないでしょう。
いろいろと細かな違いはあるのでしょうが、一番大きな違いは方舟に乗り込むノアの家族構成にあるとおもいます。この映画での設定はこうです。ノア夫婦。そしてノアの3人の息子たち。ケガによって子供を産むことができなくなった長男の妻。
この映画では、3人の息子を通して人間の欲望が描かれます。子孫を残すことを目的としない婚姻を結んだ長男。そんな長男を羨み、自らの伴侶がもはや得られないことを嘆く次男。そしてまだ幼く男性としての欲望からは自由な三男。この映画でのノアは、神から『地/上から人間を一掃し、清らかな世界を取り戻す』という使命を与えられています。そんなノアにとって、欲望のみを目的に婚姻を結ぶ長男も、そんな長男を羨む次男も、抹殺すべき汚れた人間そのものに過ぎません。そして、ある奇跡により身ごもるはずのない子供を身ごもった長男の妻を前にして、人間を増やすことは神の意志に反すると考えたノアが、ゆっくりと狂い始めるというのがこの映画の根幹をなすストーリーです。
では『創世記』ではどうなっているのでしょう。ウイキペディアによれば方舟に乗り込んだのは『ノア夫妻と、3人の息子たちとそれぞれの妻』となっています。つまり『創世記』におけるノアの使命には、ノアの一家を始祖として人間を存続させることもしっかり含まれていたのです。長男の妻は子を産めず次男と三男には妻がいないという、子孫を残せない家族構成で方舟に乗り込み、ノアは人類を抹殺することを使命とした映画版とは、物語が全く異なっています。
『創世記』は、神様のお気に入りであれば人間は生き残れるというお話です。
この映画では、人類は地球にはびこる汚染であり、人類を抹殺することが神の意志であるとされています。そしてこの映画の中のノアの家族たちは、ノアと、彼が具現化する神の意思に反旗を翻すのです。
しかし、このことを持ってこの映画を『反キリスト』であるとは言い切れないでしょう。
この映画で神の意思を語っているのはあくまでもノアなのです。神は何も語りません。神は決して人々の問いかけには答えないのです。
神に対して妄信的な『創世記』をそのまま映画化するのではなく、人と神の関係について考える余地を残したこの映画のアプローチは、とても現代的で素晴らしいものではないでしょうか。
39/2014
#626
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