ゴジラ (1954)
昭和29年。終戦から9年。日本の主権回復から2年。
そんな時代に、ゴジラは現れた。
水爆実験で目覚めたゴジラ。しかし人類の文明に牙をむく太古の恐竜が行く先は、水爆実験を行った国ではなく、世界で唯一核攻撃を受けた日本なのである。その理不尽さ、その無常さが作品の根底に色濃く流れているような気がしてならない。
なすすべもない圧倒的な破壊力への恐怖。じっとその力をやり過ごす無力な人々。このあたりは、後の怪獣映画とは明らかにその雰囲気が異なる。そこには怪獣への怒りはない。怪獣を倒した達成感もない。モノクロの画面から漂ってくるのは、真っ黒な恐怖だけなのである。
ゴジラを上回る破壊力を手にした科学者の、その力を振るうことを拒む言葉も重い。力を持つこと、力を振るうことへの強い嫌悪。それは力を振るわれた者にしか実感できない、とても強い想いなのだろう。
そしてもう一人の科学者は言う。
「水爆に負けないあのゴジラの強さの秘密を、われわれは突き止めなくてはならない」
この時代の日本でなければ決して生まれ得なかったのが『ゴジラ』だということが、とてもよくわかる。
#612
| 固定リンク
「映画・テレビ」カテゴリの記事
- マグニフィセント・セブン(2017.02.18)
- ザ・コンサルタント(2017.01.28)
- 本能寺ホテル(2017.01.23)
- アンダーワールド ブラッド・ウォーズ(2017.01.09)
- Year 2016(2016.12.30)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント