夏の終り
映画としてみると、悪くはないのだと思う。
映像は美しいし、出演者の演技もよい。それなのに全編を覆う、なんとも言えない間延びした退屈さ。これは一体、何が原因なのだろうか。
これはもしかしたら、著者の自伝的小説といわれる原作が、すでに賞味期限を迎えてしまっていることによるものかもしれない。
虚構であれば、それは作り物ゆえに普遍性を持つだろう。人を楽しませよう、悲しませようという『仕掛け』は、時代を超えても一定の効果を有するものだと思う。50年前の映画を観ても、そこにある娯楽要素は現在とそう変わるものではない。
しかし個人の感覚というものは、ある時代にある場所である個人が感じたものにすぎない。それが異なる時代の異なる場所に住む別の個人の感動に及ぼす影響は、虚構のような『仕掛け』を持たない分だけ、限定的なものにならざるをえないのだと思う。
そこにある自伝的感覚のリアルさ、生々しさが影響力を失ってしまえば、あとに残るのは娯楽性のなさだけ。それがこの映画の退屈さの正体かもしれない。
69/2013
#547
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