許されざる者(1992)
クリント・イーストウッドの監督としての大出世作。
しかしわたしにとってのこの映画の第一印象は「ピンとこない映画」というのが正直なところだった。今、改めて観てみるとそれがなぜなのかがよくわかる。クリント・イーストウッドがここまで築き上げてきたヒーロー像。この映画はそれを破壊することを目的としているからだ。
この映画に登場する保安官。彼はヒーロー達が活躍する『伝説』の世界を、サディスティックなまでに蹂躙し破壊する。そこにあるのはひたすらに現実的な秩序のみだ。ヒーローの全否定。ここまでのイーストウッドのキャリアを考えれば、それは完全な自己否定である。
だからこの映画の結末は、安易な復讐劇とはならない。そこにはカタルシスはなく、残るのは苦い後味だけだ。
街の治安を守るためには手段を選ばない男。
法が禁じる殺人により金を稼ぎ、何食わぬ顔で家族を養う男。
ヒーロー不在の世界には人殺ししか残らない。いったい誰が『許されざる者』なのか。
ファンとしては、映画の中のヒーローにはいつまでも戦い続けていて欲しい。
しかし『ダーティー・ハリー5』を撮り終えたクリント・イーストウッドは、果てしなく続く戦いの虚しさに気づいてしまった。そして彼は、この映画以降『脱ヒーロー』を模索していくことになる。
この映画では結局人殺しに戻ってしまったイーストウッドは、16年後の『グラン・トリノ』で自らの新しい生き方を見事に結実させる。
『許されざる者(2013)』に続く…
#553
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