ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q
今ほど簡単に情報が手に入る時代は、かつてなかっただろう。
映画の情報だって、公式サイトに始まって末端のこうしたブログまで、とてつもない量の情報があっというまに手に入る。
それでも、『物語』には正解なんてないんだということをわかっていてほしい。
ここブログに書いてあるものだって、あくまでも私にとっての物語であって、その他の人にはその人の物語がある。
『語り手』が2時間という時間の中で語るものが全てで、『聴き手』はその語られたことのなかからのみ、その人なりの物語をつかめばよい。
そして、そのつかんだものが正解なのだ。
だから観客は、この映画を観ながら悩めばいい。
シンジといっしょに、不条理を感じればいい。
そして自分の理解力と感性を総動員しながら、自分の物語を紡いでいけばいい。それこそが、今の時代には珍しいほど『余白』をたくさん残したこの物語の語り手の、想いであるに違いない。
夜10時からの回であるにもかかわらず、500席の一番大きな部屋が満員でした。
この映画を観た、たくさんの若い人たち。答え合わせなど必要ないのです。
500人には、500人の『ヱヴァンゲリヲン』があるのです。
解釈よりも解析よりも、自分で『感じる』ことこそが、一番大切なのです。
私にとってこの『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』は、『あがき』の物語です。
『新世紀エヴァンゲリオン』は、スマートに『リセット』をかける物語でした。
本来『Neon Genesis』は、そのまま訳せば『新・創世記』。アダムとイヴの物語です。
『新世紀エヴァンゲリオン』は、新しいアダムとイヴの物語でした。
そして『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』は、タイトルから『Neon Genesis』が消えました。
もうこの新しい『ヱヴァンゲリヲン』は、アダムとイヴの物語ではないからです。
『リセット』でやり直すのではなく、なんとか続けていこうとする『あがき』の物語です。
たとえ始めは上手にできなくても、何度も何度も繰り返すことで、きれいな音色が出せるようになっていくのです。
深紅の廃墟の中を共に歩んでいく三人。
だから『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』は、この『Q』で終わっていてもよかったのでしょう。
この段階で、全ては語り尽くされているように思えるのです。
だからきっと次の最終回は語り手からのファン・サービス。カーテン・コールになることでしょう。
75/2012
#471
| 固定リンク
「映画・テレビ」カテゴリの記事
- マグニフィセント・セブン(2017.02.18)
- ザ・コンサルタント(2017.01.28)
- 本能寺ホテル(2017.01.23)
- アンダーワールド ブラッド・ウォーズ(2017.01.09)
- Year 2016(2016.12.30)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント