北のカナリアたち
『原作』ではなく『原案』。
別物に思えるほど脚色しながらも、そこにあるのはまぎれもなく原作の世界。
本当に原作の良さを理解しつくしているから、ここまで大胆な改変ができたのだろう。
湊かなえの小説は、人のこころの死角を描いていく。
記憶の死角。感情の死角。一人称で語られる独白の見えないところ。
いくつもの主観が繰り返し語られることで、少しずつ死角に光が当たって、恐ろしい物が見えてくる。
偽悪的とでもいえるほどあからさまに、人のこころの闇を描くその作品。後味の悪い、救いようのない物語。
注意深く感じ取ってみれば、その作品には『よいもの』も描かれてはいるのだ。
光と闇は切っても切れない。こころの闇を描けば描くほど、その裏にある暖かいもの、傷つきやすいやわらかいものが、自然と顔をのぞかせる。
それでも湊かなえは、そちらを重視することはない。
露悪的に、暗い方に舵をきる。それが彼女の持ち味だけれども、そのバランスの崩れ具合が、個性でありながらも、完成度の足かせとなっているように思えてならない。
ひと癖ある、若手のキャストたち。この映画の中でも、いかにもダークな『湊ワールド』が展開されそうな予感があった。しかしそれは大きく裏切られる。
よいものと悪いもの。醜さと美しさ。善と悪。湊かなえがあえて取ってこなかったその二つのバランスを、この映画は取ってみせたのだ。
「湊かなえが歳をとって成熟したら、きっとこんな小説を書くのだろうな」
前からそんな風に想像していた、美しく昇華した『湊ワールド』がそこにはあった。
この世のものとは思えない、非現実的な美しさをたたえる北海道の風景。
その中で描かれる、『どうしようもないもの』と出会ってしまった人々の弱さと、それでもあがく強さと。闇だけでもなく光だけでもなく、そのどちらもがこころの中にあって、そのどちらもが、自分なのだという。そんな、絶望と救済の物語。
仄暗い原作を丁寧に丁寧に、別物のように美しく磨き上げて。
それでもそのフォルムは、まぎれもなく原作のまま。
原作と映画の、稀に見る幸せな関係に感動です。
72/2012
#468
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