ヤング≒アダルト
この映画でいう『ヤングアダルト』が、子どもから大人への過渡期のことを指すのであれば、世の中の多くの人が、その『ヤングアダルト』を通過した、もしくは通過中ということになるだろう。
でも、たぶんそうじゃない。
子どもから大人への通常のルートから脇道にそれた袋小路。そこから先は成長することはなく、永遠に大人にはならない。それがきっと『ヤングアダルト』なのだ。
よって、通常の成長過程をたどる多くの人々には、『ヤングアダルト』は永遠に共感できない存在なのだと思う。
その所在なさ。そのいらだち。その不安。
なぜなら『ヤングアダルト』は、自分たちがたどってきたものと同じ成長過程にある人ではなく、まったく異なる世界を生きる異なる種類の人たちなのだから。
だからこの映画が終わっても、メイビスは決して安易に成長はしない。自分の現状を認識し、確認して、それで終わりだ。
映画として物足りなくても仕方がない。それが『ヤングアダルト』なのだから。
でも『ヤングアダルト』は、成長はしなくても変化はする。
その変化はきっと間もなく。彼女が自らの『有限』を実感したときに訪れるだろう。
16/100
#413
| 固定リンク
「映画・テレビ」カテゴリの記事
- マグニフィセント・セブン(2017.02.18)
- ザ・コンサルタント(2017.01.28)
- 本能寺ホテル(2017.01.23)
- アンダーワールド ブラッド・ウォーズ(2017.01.09)
- Year 2016(2016.12.30)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント