パイレーツ・オブ・カリビアン/生命の泉 (IMAX 3D)
Fracture
前作『ワールド・エンド』において、結局3部作は袋小路に迷い込み、最後は無様に座礁してしまった。
登場人物は増え続け、人物相関図が必要なほど人間関係が複雑化、本来は単なるスパイスのはずの裏設定に呪縛され、伏線を慌ただしく回収して回るだけで時間が浪費される。あれだけの長大な上映時間を費やしてもなにも実のあるものは描けなかった。
そんな肥大して自滅したシリーズをどう続けていくのか?
予告編を観てわかるのは、徹底した『リストラ』だ。
旧3部作との時系列のつながりも明らかでなく、以前の主要キャラクターはほとんどカット。
そこにあるのは、単純な海賊の宝探しの物語。
余計な枝葉をすべて切り落とし、残ったどっしりした『ジャック・スパロウ』という太い幹だけで勝負を挑むという作戦だ。
そしてそれは見事に成功していたと思う。
そもそも海賊の物語はヴァリエーションがつけにくく、本作もマンネリといってしまえばマンネリなのだけれども、それでも以前のどの作品よりもジャック・スパロウの出番が多く、その魅力を強く伝えている。
拡大再生産が大作シリーズの定めだけれども、その逆を行くこの方法論はいさぎよい英断だと思うし、またそれは、『パイレーツ・オブ・カリビアン』のカラーにそぐわしいものだろう。
そしてシリーズ初の『3D』はどうだったのか。
最近よく3D映画について耳にするコメントで、「3Dの必要性がなかった」というようなものがある。
ただこの映画を観ていて感じたのは、そろそろ『3Dの必要性』という考え方が時代遅れになりつつあるのかもしれないということだ。
確かにこの映画では、画面から飛び出してくるような3Dのギミックはほとんどない。
しかしどうだろう。世界はそもそも『立体』なのだ。
昔サラウンド音声が出始めた頃、それは単なるギミックであり、スペクタクルなシーンのない普通の映画なら、ステレオ(2ch)で十分だと思われていただろう。
でも、音はそもそも『立体』なのだ。
だから今では、サラウンドは標準だ。サラウンドはギミックではなく、当たり前の臨場感となった。
この映画がもつ、自然な3Dの臨場感。
「映画って、昔は3Dじゃなかったんだ」
近い将来、これが標準となるのかも知れない。
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