JAZZ爺MEN
Empty Lie , Empty Dream
タイトルからわかるように、これはジャズバンド、アマチュアの市民バンドをテーマとした映画です。
このような、人々の何らかの特定の活動を主題とした映画はたくさんあります。さまざまなスポーツ。音楽や演劇などの文化活動。そのどれもが、その活動の魅力を描き、その魅力に取りつかれた人々の熱意を描き、その活動を通して結びつくことの感動を描きます。
この映画であれば、それはジャズなわけです。
しかしこの映画の登場人物の多くにとって、ジャズを演奏する動機は当初は街おこし、やがてはあるメンバーの家族のため。最後までジャズに対する愛はありません。だからこの映画を観て「ジャズってよくわからないけれど、ちょっと楽しそうだな」と感じる人もほとんどいないでしょう。
そんなジャズ愛、音楽愛が感じられないジャズ映画。それは致命的な欠陥です。
そしてそれは、この映画の『街おこし映画』としての出自にも直結します。
まず街おこしという目的があって、そのいくつか考えられる手段のなかから映画が選ばれる。
そこには当然郷土愛はあっても映画愛はなく、その結果生まれた映画は致命的な欠陥を有するのです。
まずは作り手の愛によって育まれた映画が存在し、『思惑』はそれに乗っからせてもらうべきでしょう。『思惑』から愛は生まれないのです。
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