第9地区
The Dark Side of The Moon
南アフリカにエイリアンの隔離居住区が作られる。
とてもわかりやすいアパルトヘイトを想起させる設定だけれども、そこには風刺も批判も説教もありません。あるのはせいぜい皮肉程度。SF映画に余計なものを持ち込まない、変な色気を出さないその姿勢がまずよいです。
この映画の特質は、『アバター』と比較してみるとよくわかるような気がします。
エイリアンを迫害する人類。このフォーマットは両者共通です。
『アバター』でのエイリアンは、調和を重んじ、自然を大切にします。見た目もヒューマノイドで、人類と比較してもそんなに違和感はありません。そんな彼らを迫害する人類の動機は、単なる私欲、金儲け。主人公も観客も、徐々にエイリアン側に感情移入していくことになります。エイリアン側に身を投じた主人公のように、観客もエイリアン側に身をゆだねてストーリーを追っていくのです。
対する本作でのエイリアンは、見る者の嫌悪感をかきたてる設定となっています。ねばねばとしていて、触手がたくさんある。知能が低いわけではないけれど、スラムに暮らして、ゴミをあさり、生肉を食べる。そんな彼らを迫害する人類の動機は、結局のところただ近くにいてほしくないだけ。迫害する人類の暴力的な行動に嫌悪感を感じながらも、エイリアンに対する生理的な拒否感も否定できない。自分だって、近くにあんなものにいてほしくない。ひょっとしたら自分だって、いざとなったら迫害してしまうかもしれない。
エイリアンにも人類にも共感できず、いつの間にか自らの暗黒面を見つめている。観客のそんな不安定な心情が、よく似た設定ながら『アバター』とは決定的に異なるところでしょう。『アバター』のような安定した立ち位置を観客に与えない。どちらも選びたくない選択肢を提示する。自分だったらどうしてしまうか。自分の中の闇をのぞいてしまう。
そして本作の疑似ニュースフィルム的な客観的な映像は、感情移入という安定を得られず取り残されている観客の孤独感に、とてもマッチしていると思います。
そして、そんな心理的な居心地の悪さを吹き飛ばすように、後半は怒濤のアクションシーンが続きます。強力なエイリアンの超兵器で粉砕される人類たち。それを見て観客が感じるのは。
嫌悪。それとも爽快。
自分は、どちらの味方なのだろう…
#251
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