アバター
極彩色のネガフィルム
12年ぶりに、ジェームズ・キャメロンが帰ってきた。
『タイタニック』で大きくその運命が変わってしまったキャメロン。でも久しぶりの本作は、彼ならではのSFアクション映画。束縛された現実と、自由な幻。その二つの世界をリンクしながら、相変わらずのサービス満点、見せ場つるべ打ちである。
彼の過去の映画とあえてこじつけるならば、この映画には『エイリアン2』と『アビス』の面影を感じる。特に『エイリアン2』。この映画は『エイリアン2』の双子の兄弟といってもいいだろう。しかし兄弟ではあっても、ネガとポジ、その姿は180度違っている。
『エイリアン2』で人類はエイリアンと戦った。あの映画のエイリアンの怖さは、コミュニケーションの不能さだったと思う。エイリアンは自らの繁殖を目的として、他のことは何も考えることはない。交渉も説得も命乞いも、何もエイリアンには通じない。
本作でも人類はエイリアンと戦っている。しかし本作において、その立場は逆転している。この映画のエイリアンは、高度なコミュニケーション能力を持っている。周囲の環境と文字通りのリンク《絆》を保持し、調和の中で生きている生命体だ。そしてコミュニケーション不全に陥っているのは人類だ。自らの営利や欲望を目的として、他のことは何も考えることはない。交渉も説得も命乞いも、何も人類には通じない。そう、この映画で恐ろしいのは、私たち人類の側なのだ。
そしてそんな人類に対して。『アビス』では下されなかった鉄槌が、本作では下される。前世紀にはもらえたチャンスを、今世紀ではもうもらえなかった。『アビス』ではあんなに優しかったキャメロンも、本作では人類を見捨てている。
この映画のメッセージは、予告編を見てもすぐわかってしまうくらい、とてもはっきりしている。環境・差別・コミュニケーション。ありきたりだし、使い古されているかもしれない。でもキャメロンはそれを娯楽映画として伝えてくる。言葉で説教するのではなく、映像で見せてくる。あの恐ろしかったエイリアンに、いつの間にか自分たちがなっていた。あのホームツリーの崩壊シーンをみたら誰だって気がつく。『9.11』だって、みんなが加害者になりえたんだって。自分たちの加害者としての恐ろしさを、こんなおもしろい映画のなかでちゃんと伝えている。
12年待っただけのことはある。
人類なら、一度は見ておく映画かも知れない。
#242
| 固定リンク
「映画・テレビ」カテゴリの記事
- マグニフィセント・セブン(2017.02.18)
- ザ・コンサルタント(2017.01.28)
- 本能寺ホテル(2017.01.23)
- アンダーワールド ブラッド・ウォーズ(2017.01.09)
- Year 2016(2016.12.30)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント