わたし出すわ
『しりとり』は、つながっていく…
与えた方にとっては、取るに足りない『ひとこと』。
でももらった方には、とても大切な『ひとこと』。
だからマヤはお返しをした。お返しをして、つながろうとした。
与える方にとっては、取るに足りない『お金』。
でももらった方には、とても大切な『お金』。
お金を与えることは、良くも悪くも影響を及ぼすこと。でもそれはつながることではない。マヤはそのあたりがわかっていなかった。家庭が壊れた男。力を取り戻した男。悪運を呼び寄せた女。自らの力を知った男。そして、なんの影響も受けなかった女。いいものも悪いものも。影響はコントロールできない。
そして最後にマヤは気がついた。
なんだ、とっくにつながっていたんだ。
そして高価な白衣の集団が及ぼす影響でも取り戻せなかったもう一つのつながりを、マヤはしりとりで取り戻した。
この映画はたぶんこんな風に、『つながれない』というお金の限界を、と同時に『つながること』の素晴らしさを描いたのだろう。しかしこの映画はあまり説明しない。説教もないし感動の告白もない。ミステリアスドラマは、ミステリアスなまま終わってしまう。
でもそんなに嫌いじゃない。語りすぎない映画。説明しすぎない物語。映画と観客も無理につながらなくても良い。つながるものは、自然とつながるのだから。
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