ディア・ドクター
被害者=共犯者
『それ』は、太古の昔からずっとずっと禁忌だった。すぐそこにあるのに、誰もが強い関心を持っているのに、そんなもの存在しないかのように、誰も気にしていないかのように。
だからこの映画の登場人物は決して本心を表さない。警察の事情聴取には、典型的な『被害者』としての優等生的な発言を。他者が期待するであろう、だまされた善意の老人の顔を。
そしてその隠された本心は、映画の中では決して明かされない。彼らが『それ』をどう扱おうとしたのか。彼らにとって『それ』は何なのか。そして『それ』をどうしたいのか。
伊野治という、彼らに正体を隠し続けた男。
しかし彼らだって、その本心を決して明らかにはしない。
そう、この映画はあらゆる登場人物が何かを隠している。そして隠したまま、この映画は終わるのだ。現実がそうであるように。
そんな得体の知れない登場人物のなかで、最も得体の知れない男。それは得体の知れない鶴瓶という男にとって、まさに適役だった。
#226
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