劔岳 点の記
『大嘘つき』と『正直者』
自分にとって、優れた映画監督は『大嘘つき』だ。1しかないのに10に見せる。この世に存在しないはずの15や20を見せつけて、「ひょっとしたら」と思わせる。そこにある以上のものを、大風呂敷を広げて見せてくれる。
そして優れたカメラマンとは、そこにあるものを限りなくそこにあるままで、フィルムに固定する人なのだろう。10あるものを、劣化させることなくなるべく10に近く記録する。振幅のある被写体の、最高の瞬間をそのまま切り取る。そんな『正直者』がカメラマンなのだろう。
この映画は、実際の場所に行って実際の行程を実際の荷物を持って、まるで再現フィルムのように撮影されたらしい。そこにある自然は雄大で厳しくて荒々しくて、とてつもなく美しい。そんな自然の有様の、見事な瞬間瞬間が切り取られている。そして、その自然に相対したときの人間の矮小さも、ありのままに映し出されている。険しい岩山に必死でしがみつく、蟻のように小さな人間。
結局この映画では、人間は自然の引き立て役。自然の大きさを測る物差しにすぎない。カメラはあくまでも自然の目線であり、人間の目線を映し出してはいない。だから当然そこに映っている、神の視点から俯瞰された、矮小な人間のちまちましたドラマは、見る者の心にはなかなか響いてこない。正直なところ、測量隊の努力や勇気よりも、俳優達の危険や苦労の方がひしひしと迫ってくる。
ドラマとしてのメリハリに欠けるのも気にかかる。映画の大半は、測量隊も山岳会も山をうろうろするだけ。その割には最後はあっけなく、あれでは何となく登頂できてしまったようにしか見えない。またその登頂シーン自体が非常に淡泊なもので、リアルではあるのかも知れないけれど、盛り上がりには欠ける。主役はドラマではなく、あくまでも自然なのだ。
疲れていないのに疲れているように見せたり、重くないのに重いように見せたり、登場人物の思いをセリフや表情で的確に伝えたり。俳優達は多くの特殊技能を持っているはずなのに。それらを発揮することもなく、疲れているシーンは疲れさせられ、重いシーンは重荷を背負わされ、登場人物の思いは大自然の前ではあまりにもちっぽけで。
多くの苦労と危険の挙げ句にこれでは、彼らの苦労が浮かばれない。
映画において、監督と撮影監督という二つの仕事がある理由が、とてもよくわかる映画です。
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