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2009/06/14

安徳天皇漂海記/宇月原晴明

An 『塵となって散ることの なんという幸せだろう』

『歴史』の価値とはなんだろう。

記録としての価値。
いつどこで、何が起こり、どうなったか。
先例としての価値。
前はこうで、こうなった。だから今回は、こうしよう。
そして、物語としての価値。

物語は事象だけではなく、そこには『情念』がある。
数百年も前であろうが、遙か彼方の帝国であろうが、とてつもなく身分の高い皇帝だろうが。
そこには、読者が持つものと寸分違わぬ、なまなましい『情念』が必ずある。

野望や歓喜や、悲哀や絶望。『情念』はその持ち主の全てを支配し、その人にとっては存在そのもの。それが全て。
でも『歴史』は、残酷なことにもっと巨大なものを、悠久の時を超えて存在する『宇宙』そのものを見せつける。『宇宙』の前ではあらゆる存在が無常のものであり、あらゆる『情念』も永遠ではないことを。

この物語の『情念』は、多くが悲しみ、尽きぬ怨みの念だ。そして『情念』こそが人であると物語は言う。でも、それがどんなに強いものであっても、いつかは解けて、散ってゆく。物語の最後に『宇宙』と対峙した『情念』は、蜜のように溶けてしまう。
それはその人が存在した証が無くなってしまうことかも知れない。でもそれでもいい、と物語は言う。
しあわせも苦しみも、天子も平民も、あらゆるものが『宇宙』の前では平等で、安らかに朽ち果てて、塵に帰って行く。

自己そのものである『情念』を持つことを肯定しつつ、『情念』の儚さを示す。矛盾しているようだけれども、その矛盾をやさしく提示するのが、物語としての『歴史』の役割なのかもしれない。

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