フロスト×ニクソン
もしかして、『魂』が映っているの?
映画は情報の固まりだ。そして情報は数値化できるし、数値はコンピューターで扱える。最近の高度に発達したコンピューターグラフィックスを使えば、どんな実写でも再現できる。もうすぐ映画で実写を使う意味さえなくなる。そんなふうに言われることも最近は多い。
でも本作を観ると、それが誤りだとよくわかる。二人の男が、いや大部分は一人の男が、椅子に座って話しているだけ。それなのに、サスペンス映画のような緊張感と、ボクシングのような高揚感と。そこだけ空気が違うかのように。なにかの波動が出ているかのように。俳優が身にまとっている『もの』はいったい何なのだろう。
逆境を跳ね返してのし上がった成り上がり者。でもどんなに頂点に登り詰めてもキズはなくならない。そしてもう一人の、自分のネガのような成り上がり者に、キズを見せつけられて砕けてしまう。そんな男がたしかにそこに映っている。
仕草や姿勢や声の抑揚や。形態模写的に細かいものを積み重ねても、きっと説明できない。俳優だけが持っている解析不可能なもの。脚本でも演出でもCGでもなくて、それこそが映画にとって最も貴重なものなのかもしれない。
俳優という存在の凄さを、思い知らされる作品です。
#212
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