グラン・トリノ
おやすみなさい、ハリー
多すぎるのでもなく足りないのでもなく。必要なものが必要な長さで必要な場所に。あらゆるシーンが必然で、ひとつの無駄もなく。なのにそぎ落とされているわけでもなく、豊穣なユーモアや感動がある。
たしかに、父親ってそうだった。いつも車をピカピカに洗車していて、いつの間にか何でも修理してしまっていて。一人で外を見ながらタバコを吸っていて。教えてもらうことは、たしかに道具の使い方だった。道具をちゃんと扱えて、自分の面倒が自分で見られるようになって、一人前になる。
道具は自分の力を増幅する。車も工具も、そして銃も。男の子はいつも道具に憧れて、扱い方を学んで、手にした力の制御を覚えて、成長して男になる。ウォルトがタオに道具を買いそろえてあげるシーンは、まさに父親の、不器用な男の愛情表現そのものだ。
いま世の中にある道具。パソコン、携帯電話、それらの多くは道具ではなくスキル。それらは物理的には外界に対してなんの作用も及ぼさない。実体のない力を身につけていくだけだから、いずれ男も実体を無くしていくことになるんだろう。
昔ながらの男であるウォルトは、自らの力のみを頼りに生きてきた。力を身につけ維持するために、強く自らを律してきた。そんな生き方に対する自信と誇り。それはやがて傲慢につながり不寛容となり、頑固は頑迷になり、自らを氷の中に閉ざすことになる。
そんな愚かな男の氷を溶かすのは、やっぱり女性なんだ。柔軟で柔らかくて、弱いようなのにいつの間にか包んでいる。この映画の中でも、多くの素敵な女性達が、ウォルトを包んで溶かしていった。
そしてウォルトは、戦い続けたウォルトは、疲れていることに気がついたんだね。今まで多くの大切な人を守ってきたように、今回も大切な人を守りたい。でも、もう、イヤだったんだね。大切な人に、生涯続く悪夢を背負わせること。なにより自分が、たとえもう大切な人に会えなくなっても、もう、背負いたくなかったんだね。
子どものころからずっと、戦う彼を観てきた。世界一強力な拳銃を操り、自分のみを頼りに、ぶれることなく生きる彼を観てきた。いつか、あんなかっこいい大人になりたかったな。
おやすみなさい。
ありがとう。
#216
| 固定リンク
「映画・テレビ」カテゴリの記事
- マグニフィセント・セブン(2017.02.18)
- ザ・コンサルタント(2017.01.28)
- 本能寺ホテル(2017.01.23)
- アンダーワールド ブラッド・ウォーズ(2017.01.09)
- Year 2016(2016.12.30)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント