ハンコック
神様が人類にかけた、最後の「保険」
今年の夏の映画。同じヒーロー映画ながらも「ダークナイト」と「ハンコック」は、シリアスとコミカル、まったく正反対の印象を与える。しかしその描く「ヒーロー像」は驚くほど似ている。
「力」を持つものは孤独だ。その「力」ゆえに周囲とは差別化され、「力」が大きければ大きいほど疎外感も大きくなる。そして周囲はその「力」を自分たちのために行使することを当然だと言い、「力」を強要し「力」に依存する。そんな身勝手な弱者たち。ハンコックのようにウンザリするのは当然だ。
ではヒーロー達はなぜ助けるのか。なぜ他人のために「力」を行使するのか。
それは自分で「選んだ」から。
多くの身勝手な人々の命や安全と、自分一人の小さな幸せ。愛する人と一緒に暮らしたいとか、夜は居心地のいい暖かいベッドで眠りたいとか。大勢の命と秤にかけたらあまりに軽すぎるけれど、一人の人間としては極々当たり前の願い。他人が「重い方をとれ」というのは簡単だけれど、本人にとっては他人の命より重いもの。
それを犠牲に差し出して手にすることを選んだ「力」だから。自分の一部を殺してまで得た「力」だから。だから人のために使える。代償を払った「力」だから、もう無駄には使えない。生まれつき高潔な者がヒーローになるのではない。高潔さを身につけた者だけがヒーローになれるのだ。
ハンコックも選んだ。離れなければ維持できない「力」を、維持するために離別を選んだ。そうまでして得た「力」だから。数千年来のパートナーに背を向けてまで得た「力」だから。気高さは、決して生まれつきではない。
だから本当に恐ろしいのは、なんの代償を支払うこともなく、「力」を手にしたものたちだ。
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