デトロイト・メタル・シティ
たとえ闇のように黒くても、地獄の業火のように赤くても、それも誰かの大切な夢
世間には、悪魔崇拝者も殺人者もそんなにたくさんはいない。当然わかっているのだ、演じる側も演じられる側も、それが演出であることを。でも彼らは「なりきる」のだ。教祖は教祖に、信者は信者に。なぜそんなに「なりきる」のか?別に彼らがバカだからではない。物事は「なりきった」ほうが楽しいからだ。音「楽」は、楽しい方がいいに決まっている。
そしてもう一つのメンタリティ。一般人からあきれられ、眉をひそめられ、嫌がられる。そんな一般人のネガティブな感情をかき立てればかき立てるほど、うれしい。突出したスタイルの音楽やファッションで、嫌われ者のマイノリティとなる。そんな、ある種自虐的な精神性は、実は本来あらゆるロックの根源にあるもの。どんなに商業化され、飼い慣らされていっても、ロックはそれを忘れちゃいけない。
そしてこの映画。演奏シーンの迫力は乏しいし、ロックバンドの生態もそれほど描けていたともいえない。でも、マイノリティであることの誇りや音楽への忠誠心。「なりきり」で一般人を引かせる喜び。そんなメタルのコミュニティーの本質的な姿が、なぜかしっかり描けている。こうした自虐的なメタルの姿は、好きじゃなければ描けないのではないかな。
そしてそんなメタル精神を具現化した存在が、松雪泰子扮するデス・レコーズ社長だろう。彼女の姿に感情移入できる人は少なくないはず。
人の数だけ、夢の色はあるのだから。
#188
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