ハプニング
1日目に1セント、2日目に2セント…
最近とみに評判を落としている「どんでん返し監督」M・ナイト・シャマラン。そんな彼の最新作である本作は、前作「レディ・イン・ザ・ウォーター」に続いての「オチ無し、ひねり無し」作品である。当然受けはよくないだろうけれど、個人的には悪くはない作品だった。ショッキング描写などはかなりのもので、素直に「怖い」と思える。スリラーとしては上出来ではないだろうか。
原因不明の災厄で人類が死滅に向かう。近年では、いわゆる「ゾンビ化」が定番である。親しい人たちが凶暴化し、襲いかかってくる。それはそれで怖い。でも本作の災厄も怖い。人がどんどん勝手に自壊していく。ただ死んでいく。それは襲いかかられるよりも、遙かに恐ろしかった。増えすぎた個体が環境が保持できる臨界点を超えた瞬間。そんな種としての限界点を見せつけられるような恐ろしさだった。
そして本作の災厄は「顔」が見えないまま終わる。しかし本作の災厄は「顔」のかわりに「意思」を与えられている。本作は「環境警鐘もの」といえる作品だろう。しかし本作で描かれる「意思」は、「環境は人に破壊されるもの、人が救ってあげなくてはならない脆弱なもの」といった、人間の「上から目線」を冷たく拒絶する。前作でも感じられた「寓話性」。それが本作からも強く感じられ、またその「寓話性」が前作同様に「ひねりのない」ストーリー展開に繋がっているのだろう。寓話は教訓であり、ひねりは必要ないのだから。
そして寓話はまた、希望の物語でもある。人が集まりすぎると死んでしまう。でも一人になっても死んでしまうのだ。周りを食らいつくすほど貪欲だけれども、一人では生きられないほど脆弱なのだ。結局人はつながりのなかに、希望を見いだしていかざるを得ない。そしてそんな人のつながりを、本作は決して否定していない。
お金持ちで育ちが良さそうで、何となくひ弱そうな印象のシャマラン監督。でも皆が期待するものとは全く対極にある作品を、対極にある哲学の作品を2作も続けて撮ってしまった。そして前作でさんざん批判された「出過ぎ」に対する本作での回答。
意外と頑固な男、M・ナイト・シャマラン。次もがんばれ、応援してるよ。
#186
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