インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国
何にも手を触れるな
予告編を見て心配だったのは、あまりにも整いすぎたその映像だった。今のCGはリアルになってリアルになりすぎて、現実以上にきれいで計算されていて、ムダが無い。どんなに大仕掛けで大爆発で大破壊でも、すべては計算通りの場所に、計算通りのタイミングで、乱れさえも計算通りで。だから残念ながらそこにはスリルはない。オリンピックの体操選手が10点満点の演技を繰り出すところを見ても、まさか失敗して大怪我するかもしれないと、ハラハラしながら見たりはしない。
それでも遺跡のビジュアルは圧巻だった。インディ・ジョーンズの世界が、トレジャーハンターの生きる場所が、圧倒的な存在感でそこにあった。秘密と死は背中合わせ。「ナショナル・トレジャー」なんか裸足で逃げ出す、これが本物の「墓荒らし」だ。
第二世界大戦も終わりナチスは消え去り、アメリカがソビエトとしのぎを削る冷戦時代。本作では、その世界にはもはやインディが冒険する余地が残されていないことも痛感させられっる。世界は狭くなり、神秘の領域は確実に消え去っていく。冒険家も国家と契約を結び、職業として、体制の一員としてでなければ、もう冒険などすることはできない。
本シリーズの中心には、いつも「オカルト」が存在した。愚かな権力は現世の力を求めて「聖なるもの」を冒涜する。インディは「触れてはいけないもの」を自覚しながら、「聖なるもの」を守る。不敬なものと敬虔なものの戦い。そしていつも最後には、不敬なものに天罰が下る。
本作には「聖なるもの」は登場しない。それは「触れてはいけないもの」かも知れないけれど、神秘ではあるかもしれないけれど神聖ではない。合理によって世界から迷信が駆逐され、神が科学に置き換わっていく。そしてインディが守ってきた「聖なるもの」は、世界から姿を消してしまうのだ。
本作の敵役スパルコもまた、過去のライバルとは異なっている。彼女は現世の力よりも自らの欲求で生きていた。「見たい」 結局はただそれだけのためにあらゆる邪魔者を排除した。貪欲ではあったけれど不敬ではなかった。というより、本作の「もの」は特に敬うべきものでも無かったのだ。だから彼女の最期は、あれは天罰ではないのだろう。より高次元の者と同化し、知識を与えられ、望みをかなえられたのだろう。それが高望みだったと、悔いることになってしまったけれども。
「聖なるもの」は世界から去り、そこには「触れてはいけないもの」だけが残った。
おやすみなさい、インディ・ジョーンズ。
もうあなたが守るべきものは、世界には残っていないのですね。
#184
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