エリザベス:ゴールデン・エイジ
別の時代に、別の世界で
まず眼を奪われるのは、「豪華絢爛」というよりも、豪華で重厚なその美術だろう。華麗で、そして残酷な16世紀のイングランド宮廷の描写、そしてそれらに囲まれたエリザベスの凛とした佇まい、それらが一体となって観客を圧倒する。また重く閉塞した宮廷の描写から一転して、終盤描かれる平原や大海原の美しさ、開放感も素晴らしい。リアルなのではない美しいCGが、作品にぴったりマッチしている。
歴史物、それも外国のものとなると、予備知識の無さからくるわかりにくさが心配されるが、本作の場合はとても分かりやすい構成になっているのも特徴だろう。エリザベス、スペイン国王フェリペ2世、スコットランド女王メアリーの、「女王」としてのトライアングル。エリザベス、ローリー、ベスの、「女」としてのトライアングル。エリザベスを中心としたこの2つのトライアングルの、5人の関係さえ把握すれば、基本的な物語が理解できてしまうのだ。
そして、この2つのトライアングルがエリザベスにもたらす苦難。
「イングランドに身を捧げる」ということは、「女王」という職業に殉じるということではない。この時代の女王は、その宗教的背景とも相まって国家そのもの。人間から神の領域に一歩はみ出した存在だ。それは一方通行で、踏み出してしまえば元には戻れない。全てのものに君臨する全能の存在でありながら、もはやキスさえもできない。
「女」としてのトライアングルでは、もう自分が女ではないことを、一歩を踏み出してしまっていることを痛感したエリザベス。
もう戻れない「女王」であること。苦痛と自覚と覚醒。
そして「女王」としてのトライアングルでは、エリザベスは全ての苦難に立ち向かい、全ての外敵を粉砕し、神として自らが庇護する臣民に、黄金時代をもたらした。
「女」としての存在の消失と、「女王」としての存在の確立。それはエリザベスの死と再生の物語なのだ。
そしてカトリック世界から見たエリザベスは。異教の国を率いて、圧倒的な神の息子の無敵艦隊を、荒々しい自然の力を味方につけ破壊したエリザベスは。
光り輝くエリザベスは、闇の女王なのかもしれない。
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