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2007/12/25

めぐりあう時間たち

Th ヴァージニア、ローラ、クラリッサ
1923年、1951年、2001年

時代が変わり、場所が異なり、境遇が違っても、

人の存在の中心にあるものは「自分」。

人生の目的は幸せになること。それは誰もが望むこと。安心で、安定していて、安らかで、やさしくて、暖かい。そこに至ること、そこに安住すること。いつの時代も、いかなる場所でも、いかなる境遇でも、それこそが人生の目標であることは変わらない。

しかし「自分」は思っている。人の存在の一番奥深くに、ひっそりと息づく怪物は渇望している。

「自分らしく」ありたい。

「自分」は信じている。「自分らしく」あることこそが、自己の存在意義であると。「自分らしく」あることこそが、至高の目的であることを。「自分らしく」ないのであれば、幸せなどないと。

安心も、安定も、安らかさもいらない、「自分らしさ」だけが欲しい。周囲の暖かな環境を破壊して、なにもかもを投げすてて。「自分らしさ」という、その存在すらも不確かな、しかし限りなく魅力的な、虹のように美しく、蜃気楼のように儚いものを求めて。その先が待つのが破滅であっても、死であっても。

地上で最高の知性をもつ人間が、その知性故に生み出した怪物。しかしその怪物は気がつかない。安住の地がどこにもないように、「自分らしい」生き方などどこにもないことを。

幸せも「自分らしさ」も。クラリッサの、あの朝が幸せの始まりではなく、あの朝こそが幸せそのものであったように。単なる「点」にすぎないこと。「点」の集まりが「線」になり「面」になること。神に与えられたその知性を持ってしても、こんな簡単な仕組みがわからない。

でもそれは。

「点」を紡いでいくのは、「線」の向かう先もわからないのに紡ぎ続けていくのは、あまりにつらいから。行く先を夢見ていたいから。その知性で見えるものを受け入れるには、あまりに弱くて脆いから。

その最高の知性を使って、その最高の知性を欺きながらしか生きられない。

そんな呪われた存在にとっての救いとは、いったい何だろう。

#163

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