ブレードランナー ファイナル・カット
思い出は消えていく、涙のように、雨のように
「ブレードランナー」を映画館で観るのは、たぶん3回目だろう。1982年、1992年、そして2007年。15年ぶりに再会した「ブレードランナー」は、以前の印象とは大きく異なっていた。
「古びていない」
その第一印象はどこから来たのか。今回施されたデジタル修正や、デジタル上映による恩恵もあるだろう。しかしそれだけではない。また決して当時の製作技術が優れていたせいだけでもない。どんな優れた技術でも、いつかは風化し過去のものとなってしまうから。
そう、実は「ブレードランナー」はアートだった。緻密で猥雑なグラフィック、美しく荒廃したその世界、スペイシーな音楽とノイジーな効果音。それらが渾然一体となった「ブレードランナー」は、ため息がでるほどアートだった。現代の、とてつもないテクノロジーで生成された美しい映像を見慣れているのに忘れていたこと、「映画は芸術なのだ」ということを痛烈に思い知らされた。技術は古びても、アートは古びない。
これはレストアによるものではないだろう。ただ単に自分が過去2回の鑑賞時には気がつかなかっただけ、若さ故に目を向けることの無かった部分に今では気が回るようになっただけ、映画から受け取れるものの範囲が少し広がっただけ。それが25年ということなのだろう。
レプリカントだけではなく、自分自身も「恐怖の奴隷」である。そのことに気がついてしまってから初めて観る「ブレードランナー」は、決して以前と同じものではなかった。
37年後だったものが、12年後になっている。
時は全てを変えていく。今まで感じ取れなかったものを感じるようになり、そして今まで感じていたものがいつの間にか失われている。
そうして自分の中の映画も変質していく。
#161
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