新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に
Neon Genesis Evangelion
本作はテレビ版の最終2話分をリメイクし、劇場用映画としたものである。しかし同じ物語を描きながらもその視点は180度異なっており、リメイクと言うよりは別エンディングといった趣も強い。
まるで演劇であるかのような、あまりに「ロボットアニメ」の枠から外れたテレビ版のエンディング。当時のことは知らないけれど、相当の非難の声が上がったのは想像に難くない。抽象的な内容を抽象的な表現で描いたテレビ版。そしてその抽象的な内容を具体的な映像で描いたのが本作だ。
しかし具体的な映像を使った割には、さほどテレビ版より判りやすくなっていないのに驚く。「映像の限界」といってもいいかもしれない。あまりに異様なビジュアルイメージが象徴するものをくみ取るよりも、テレビ版のような言葉や文字を多用した表現の方が、そのメッセージを伝えるには適していたのかも知れない。個人的にはテレビ版が正解だったのではないかと感じる。
実はテレビ版が伝えたメッセージはそれほど難解なものではない。哲学的ではあるがそれは誰の心にもある哲学、自己のあり方に関する哲学だ。そしてそれはシンジの様な若者だけではなく、あらゆる世代の人間にとってとても重要なテーマであると思う。たぶんテーマと表現方法の組み合わせの悪さが「エヴァンゲリオン」の難解さの原因なのだろう。しかしもともとSFと哲学は、科学と神は相性のいい組み合わせだったはず。SFから一歩進めて、「ロボットアニメ」という形態であのテーマを描いたミスマッチさが本作の最大の魅力だったのでは、と私は思うのだけれども。
結局最後までよくわからなかったのは、ゼーレとゲンドウのそれぞれの補完計画の違いだった。でも少し考えてみる。「おめでとう」 ゲンドウはなぜ最後にシンジを祝福したのだろう。そして「新世紀」と「Neon Genesis」のニュアンスの違いは、何を意味しているのだろう。
このあたりからゲンドウの本当の願いが感じ取れるとしたら、それは考えすぎだろうか。
#156
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