怪談(2007)
いつまでも、いっしょだよ
本作は過去に何度も映画化されている怪談落語を原作としている。怪談であるからして怖い話なのだが、わたくし的には「怖い」ことはこの映画の本質ではないのかな、という印象を受けた。
怪談と言えば「祟り」である。本作でも豊志賀の父、皆川宗悦が物語の冒頭に強い怨みを残して死んでいる。しかし本作の豊志賀・新吉を巡る悲劇は宗悦の祟りではない。本作の怪異を引き起こしているのは宗悦ではなく豊志賀である。豊志賀がああなってしまったのも宗悦の祟りではなく、豊志賀自身の新吉への執着が原因なのである。そもそも宗悦が娘である豊志賀に祟るわけがない。祟るなら新吉だろう。
つまり宗悦のエピソードは、物語全体を支配する祟りの根源としてではなく、豊志賀・新吉が「出会ってはいけない」特別な関係であることを表すためのものでしかないのだ。
では宗悦ではなく豊志賀が祟っているのかといえばそうでもない。豊志賀は誰かを怨んで取り殺そうとしているわけではなく、新吉への強い執着が残っているだけなのだ。もちろん自分の愛する存在である新吉に害意などあるわけがない。そもそもこの二人は親同士の因縁さえ知らないのであり、豊志賀が新吉に向けるのは怨念ではなく、歪んでしまったとしても愛情なのだ。
また新吉の周囲の女性が死んでいくのも、直接手を下しているのは豊志賀ではなく新吉だ。それは豊志賀の怨念というよりも、新吉の罪の意識の表れとしての意味合いが強い。怪談の基本である「怨みを残した者の祟りにより仇たちが死を遂げる」という図式が全く存在しないのだ。
「親の因果が子に報い」的スパイスをちらした、因縁話仕立ての豊志賀の悲恋物語。これが本作の本質ではないだろうか。
愛し合う二人がふとしたきっかけで離別し、周囲に悲劇をもたらした挙げ句また一緒になる。最後に淵に引き込まれる新吉の安らかな表情は、本作のエンディングがある種の「ハッピーエンド」であることを感じさせるものだった。
ラヴストーリーを期待するとその恐怖描写が、ホラーを期待するとその怖く無さが、お互いに足を引っ張る可能性は高いけれども、ジャンルを気にせずひとつの映画として見るならば十分に楽しめる映画だった。「リング」もそうだったけれど、中田監督は日本的な「湿度」を感じさせる絵を撮るのが上手だな。
それにしても、いくらエイベックスが金を出しているからって、誰もが映画にふさわしくないと感じるような歌をエンディングに唐突に流すのはいかがなものか。余韻ゼロ。監督は泣いてるだろうなぁ。どうして全体を見れないのだろうか。
#146
| 固定リンク
「映画・テレビ」カテゴリの記事
- マグニフィセント・セブン(2017.02.18)
- ザ・コンサルタント(2017.01.28)
- 本能寺ホテル(2017.01.23)
- アンダーワールド ブラッド・ウォーズ(2017.01.09)
- Year 2016(2016.12.30)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント