バベル
バベルの末裔の呪いは、まだ解けない
モロッコ、メキシコ、そして東京。3つの独立した物語が平行して描かれているのですが、それらの関連は非常に希薄であり、複雑なプロットを期待するとまったくの期待はずれとなる作品でした。逆に物語はとてもシンプルで、いわゆる「ドラマ」的な要素はかなり少なめとなっています。各物語間の時間軸のズレなどもさほど効果的ではなく、単に「複雑さ」を演出するためのギミックにしか感じ取れませんでした。
そして本作のテーマであろう、分断・壁・孤独。それらは全編を通して強烈に描き出されています。しかしその描き方は、個人的にはあまり良いとは感じられないものでした。
たとえばモロッコ編では、アメリカ人夫婦が現地の村で孤立します。言葉が通じないもどかしさや周囲の対応への怒りが強く描かれていますが、それ以上に強く感じられてしまうのが、現地の衛生状況や文化水準への不信感、つまり欧米人や日本人があのような場所へ行ったときに感じかもしれない生理的な嫌悪感なのです。
日本人である私たちには、この映画で描かれている「日本」が本当の「日本」とは違うものであることがわかります。つまりこの映画の「モロッコ」や「メキシコ」だって本当の「モロッコ」や「メキシコ」ではなく、なんらかの誇張が含まれているのでしょう。そしてその誇張は、本作のテーマである「壁」を描くために施されているものなのでしょう。
しかしその誇張ゆえに、本作のある種過激な演出方法とも相まって、本来この映画が描写したかったであろう「心の壁」よりも、「生理的な居心地の悪さ」の方を私は強く感てしまいました。「あんな国には行きたくないな」「この主人公の行動は意味がわからない」「描写がえげつなすぎる」などなど、登場人物の心情に思いをはせるところまで作品の中に入っていけません。
きれいな映像と美しい音楽、乏しいドラマ性と居心地の悪さ。私のとっての本作は「ヒューマン・ドラマ」などではなく、分断し相互に理解できない人々がひしめき合っている「居心地の悪い」世界のイメージ・ビデオでした。
本作の比較対象として似たような構成の「クラッシュ」がよくあげられます。ご都合主義な「クラッシュ」とは違って、本作で描かれた世界は確かにリアルなのかも知れません。でも私は「バベル」のような「リアル」な映画よりも、「クラッシュ」のような「作り物」の映画が好きです。私が映画に求めるのは、結局「嘘(ファンタジー)」なんでしょうね。
#135
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コメント
おはようございます。
たとえば『ハンニバル・ライジング』なんかが顕著なのですが、
やはり欧米から見ると、日本の捉え方は表層的。
しかも思い込みで創られてしまっています。
(『硫黄島からの手紙』などはそう言う意味でも画期的でした)。
と言うことは、ハリウッドが
たとえばアジア、アフリカ、さらには東欧などを描いた場合、
同じように、自分たちの先入観で描いてしまっている場合もかなりありそうです。
映画はリアリズムである必要はなく、
作者の世界観を伝えればいいと言う立場を取るぼくですが、
意識的な創作ならともかく、
不勉強すぎる勘違いの押しつけはどうかなと思います。
さて、この映画の場合、
監督が見た日本やモロッッコ、メキシコ。
ぼくとしては許容範囲かな。
でも、おっしゃるように
「心の壁」よりも、「生理的な居心地の悪さ」を感じさせる結果を
生み出しているのは否めない気がします。
投稿: えい | 2007/05/04 09:40
えいさん、コメントありがとうございます。
この監督はメキシコの出身なのですね。
ということは、メキシコでは子供の目の前でニワトリの首を取っちゃったり本当にするのでしょうか。
モロッコ編では「野蛮な」現地の状況に翻弄される「傲慢な被害者」であるアメリカ人が、メキシコ編では「野蛮な」警察官としてメキシコ人に嫌がらせするところなどは、メキシコ出身者ならではの切り口なのかもしれませんね。
投稿: starless | 2007/05/06 12:04