ハンニバル・ライジング
怪物、誕生
トマス・ハリスは超寡作である。1975年に「ブラック・サンデー」でデビュー。以来、今年の「ハンニバル・ライジング」まで32年間で5冊しか書いていない。よくそれで生活できるなとも思うけれど、全作がベストセラー、全作が映画化となれば充分なのかもしれない。
本作の映画化の話は早かった。原作小説の完成前から映画製作は進み、脚本にはハリス自らが関与しているとのニュースもあった。あの寡作家が脚本を書きながら小説を書く?どう考えても無理である。映画制作の順調さの一方で原作刊行の知らせはなく、日本でやっと刊行されたのが映画公開の1か月前だった。
予想通り原作は「薄」かった、内容もボリュームも。早い話がこれは「脚本」なのだろう。いわゆる「読み応え」のない小説だった。話がつまらないわけではない、というかそこそこ面白かったともいえる。しかし7年ぶりの彼の新作がこの程度ではがっかりである。
ひとことで言えば、これは個人の凄絶な復讐を描いたハードボイルドだ。レクターを描くからには避けて通れない「食人」の要素が、取って付けたようにまったく浮いてしまっている。読んでいると、いつの間にか主人公がレクターであることを忘れてしまう。また主人公の行動が、知的そうでいて結構行き当たりばったりなところもレクターっぽさを減じている。
そして映画である。
小説もダイジェスト的だと思ったけれど、映画はさらに簡略化されていた。幼年期におけるエピソードがバッサリ削られ、青年期のレディ・ムラサキとの関係も最低限の分量ですませている。あのシンプルな原作がさらにシンプルになり、薄い小説がさらに薄い映画になってしまったのだ。
しかし小説でほとんど感じられなかったレクターっぽさを、映画において強烈に醸し出している存在がいる。主演のギャスパー・ウリエルである。気品があるようで不気味な表情。ぽっかりと空いた深い穴のような目。そして何より素晴らしいのが、あの地の底から響いてくるような声。彼の頑張りによって、本作はかろうじてレクター映画になってたといえるだろう。
そもそもレクターの誕生を描くという企画が間違っていたのだ(実際は本作でも誕生を描けてはいないのだけれど)。外見と中身の強烈なアンバランス。怪物は理解ができないから魅力的なのだ。本作のアイディアはせいぜい外伝的な短編にちょうどいいネタであり、長編や映画にするほどのものじゃなかったのだと思う。ハリスのアイディア切れか、周りが無理矢理もちかけたのか。
でも「レクターの全てを明らかに」などと高望みさえしなければ、美しい映像とウリエルの怪演を見るだけでも、そこそこ楽しめる映画になっている。
そんなことより一番残念なのは、また7年くらいトマス・ハリスの新作がでないことなのです。
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