DEATH NOTE the Last name
月かLか。最後の戦いが始まる。
偉大なる「デスノートのルール」を生み出した原作コミック。しかし最後まで読むと不満も多かった。
結局は延ばしすぎたのだろう。Lのあっけない死から物語は日本を飛び出し、そのルールはさらに複雑なものとなる。物語を続けるために風呂敷はどんどん大きく広げられ、ルールの複雑さが物語の奥深さに置き換えられる。拡大のための拡大。
もともと「デスノート」のストーリーはゲーム的であり、記号的要素の強いキャラクター達の造形はそれほど深くない。しかしそれでも読者達は、長くつき合ってきたキャラクター達にそれなりの愛着を覚えるものだ。そして拡大に拡大を続けた「デスノート」は、記号化してしまったキャラクター達をないがしろにしすぎたのかもしれない。
月とその世界を二分してきたL。父総一郎。重要なキャラクター達が何の見せ場もなく死んでいく。そして主役である月のみじめな最期。たとえ悪人であっても、あそこまでの醜態をさらす必要があったのか。長々と複雑な物語につき合った結果があれでは納得できない。
「Lの死をクライマックスにしてうまく終わらせていたら傑作になっていたのに」それが原作を読んでの感想だった。
そして原作を、「Lの死をクライマックスにしてうまく終わらせた」のが映画版の後編にあたる本作である。
原作で一番の不満がLの処遇だった。やはりキラを倒す者がいるとすれば、それはLでなければならない。それが名探偵というものだろう。そして本作では原作にも含まれていながら着目されていなかったルールを使用することで、基本的に原作に沿っていながらも、Lに活躍の場が与えられている。月に手を下されるならともかく、原作のようなあんな他力本願な方法でLには死んで欲しくなかった。やっとこれでLも浮かばれるというものだ。
そして神になろうとした月の最期。これも原作に沿った展開でありながらも、その印象は大きく異なる。その大きな原因は父を立ち会わせたことだろう。心は通じているのに決定的に分かり合えない父と子。父に看取られることで、月のわずかに残った人らしい部分がうっすら浮かび上がり、その余韻は原作とは段違いだ。
月、L、総一郎。全てのキャラクターが効果的に魅力的に描かれ、物語もきれいに終わっている。実に素晴らしい脚本だと思う。
原作者以上に「デスノート」を理解し、原作者以上にキャラクターを愛した者たちが、原作以上に素晴らしい「デスノート」を生み出したのだ。
#113
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コメント
こんにちは。
ぼくもそう思います。
原作で、なぜあんなに早くLを……。
しかも物語はその後の方が長い。
そういう意味では、
これはみんなが観たかった
『真・デスノート』なのかもしれませんね。
投稿: えい | 2006/11/06 10:17
コメントありがとうございます。
>しかも物語はその後の方が長い。
そうなんですよねー。
Lの後継者にもLほどの魅力はなく、Lの生い立ちなりなんなりが明かされるわけでもなく・・・
やっと「二枚看板」らしい扱いになりました。
投稿: starless | 2006/11/06 22:33