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2006/11/20

Michael Schenker Group / 25th Anniversary Japan Tour 2006

Setsumei_3 2006.11.17  Nakano Sunplaza

Set List
1. Assault Attack
2. Are You Ready To Rock
3. Let It Roll

マイケル・シェンカーは、精神的にとても不安定な若者だった。自らの力を証明しようとする自負心と周囲の期待という重圧の狭間で押しつぶされ、常に心は疑心暗鬼に満たされている。その弱さゆえドラッグやアルコールに逃げ道を求め、さらにその不安定さは増幅される。

そんな彼のプレイは独特だ。「泣きのギター」はよくあるが、彼のギターは「狂乱」し「苦悶」する。自身の不安感を集中力でねじ伏せながら紡がれる彼のフレーズは、彼の内面を映し出す。そんな「ネガティヴ」さに彩られた彼のギターは、闇の魅力を理解する日本において絶大な人気を得た。

いわば自らの精神を削り取るような彼のプレイは、当然代償も大きい。集中力が途切れれば演奏不可能。コンサートの途中であろうが何であろうがステージを去る。公演中止や失踪など、安定した活動とはほど遠い状態が続く。

Kaizyou 80年代半ば以降アメリカに移り住んだ彼はドラッグやアルコールなどを絶ち、また宗教に心の拠り所を求めたとも聞く。心の平安を得た彼のプレイは当然過去のような色を失った。あんなに好きだった彼のCDもやがて買わなくなり、コンサートに足を運ぶことも少なくなった。

彼の演奏の魅力は、彼の苦しみを源泉としている。苦しみをねじ伏せながら演奏する彼の、苦しみが強ければ強いほどフレーズの魅力が増すのだから。そして苦しみが強ければ強いほど、彼が破綻してしまう可能性も大きくなる。そんな彼の苦しみの産物を愛してきた者としては、彼の破綻を責めることは出来ない。

そもそも私にとっては彼の破綻は擁護や非難の対象にはならない。たしかに現在の彼は私にとって「最も好きなギタリスト」ではないかもしれない。しかし「最も好きだったギタリスト」でもない。自らの血の中に流れ込んでしまった存在は過去でも未来でもない、常にそこにあるのだ。

思えば彼のギターはいつもそばにあった。それこそ高校受験の頃から、人生の難局において彼のギターはいつも励まし慰めてくれた。A面に「神」をB面に「神話」を入れた90分テープとともに、いつも歩んできた。そんな存在は擁護も非難もできない。もう自分の一部分なのだから。

たとえ今の彼がどうであろうと、自分の中に彼の音楽があることは間違いない。そして自らを削り取りながら、そんな音楽を与えてくれた彼に感謝している。

与えるのも、奪うのも、神の御技なのだ。

 

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