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2006/10/14

エリザベスタウン

Eli 父の故郷エリザベスタウン。職を失うとともに父を失ったデザイナーのドリューは、自らを見つめ直すこととなる旅に出る。

生き甲斐だった仕事を失い、父を失い、ドリューは生きる意欲をなくしてしまう。そんな彼をエリザベスタウンで迎えたのは、彼と同様に父を悼みながらも前向きに明るく生きる親戚達や街の人々だった。

この映画で描かれるエリザベスタウンの人々は極々普通の人々である。日常の小さな喜びに生き甲斐を見いだし、小さな街で一生を過ごす。失意は誰の元にも訪れる。しかし失意の中にある者には、失意は自分だけのものであるかのように感じられる。そんなときふと周りを見渡せば、失意に勇気を持って立ち向かい、前向きに生きようとする大勢の普通の人々がいるのだ。

一風変わったお節介クレア。彼女の前向きさはドリューに癒しを与え、彼の感情を再生させる。仕事の失敗で社会的地位を失ったことにより自己の価値をも信じられなくなったドリュー。自らの魅力を認識しながらも、心の奥底で自分は常に「穴埋め」であると感じ続けているクレア。自分の気持ちで自縄自縛となっている二人には、新しく芽生えた感情に目を向けることが出来ない。

端から見るともどかしいが、囚われている者たちには判らない。ちょっと視点を変えて、ちょっと一歩を踏み出すだけなのに、なんと勇気が必要なことか。自分を閉じこめているのは自分自身なのだ。

そんな二人を見つめる映画だと思えば、絶対エリザベスタウンにはこないだろうと思っていたドリューの母にも素晴らしい見せ場が用意されていた。そこに描かれていたのは、自分に正直に、でも自分の弱さに飲み込まれることなく、前向きに人生を楽しもうとする姿だった。思い出の曲に合わせて踊る、習い始めのぎこちないダンス。それは夫への追悼であるとともに、自分自身がさらに先へ進んでいく事への決意表明のようだ。

そんな登場人物をやさしく包み込むように、本作では数多くの音楽が流れる。音楽担当はナンシー・ウイルソン。懐かしい名前だ。本作の監督キャメロン・クロウの奥様なのですね。80年代には一世を風靡した彼女も、姉の健康問題などからシーンの第一線からは姿を消した。でもこうして今でも頑張っている。なんだかうれしい。

人生は山あり谷あり。周りの人々と手を取り合って、そして楽しみながら、進んでいければいいな。

#110

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