DEATH NOTE
このノートに名前を書かれた人間は死ぬ
単行本の累計販売数1400万部を誇る「少年ジャンプ」連載の超人気コミックの実写映画化。
コミックは全然読んだこともなく(今読んでいますが(笑))、何の予備知識もないまま観ましたが、結論からいえばかなり楽しめる映画でした。というより、「デスノート」というシステムを生み出した原作者が偉大すぎます。映画にしろコミックにしろ、その面白さのほとんどはそこに起因しているように思えます。
「ノートに名前を書くとその人は死ぬ」 たったそれだけのシステムなのですが、主人公がその使い方に習熟するにしたがって物語はさまざまなバリエーションを持ち始め、思わぬ展開で楽しませてくれます。
コミックを読んでみると、映画版はかなりコミックに沿ったつくりとなっていることが分かります。もちろん上映時間の関係からかなり早足の展開となっていますし、映画オリジナルのキャラクターやストーリーなども含まれていますが、コミックのエッセンスは十分に含まれているといえるでしょう。
映画を観たときに、月(ライト)があのようにノートを使い出すきっかけがはっきりと描かれていないと思ったりもしましたが、それはコミックも同様でした。もちろんコミックは「文章」での描写ができる分だけ説明的な要素を付け加えることができるのですが、それでも十分な人物描写とはいえないでしょう。そしてこの人物描写の薄さ(簡略さ)は主人公の月だけでなくL(エル)を始めとした周辺の登場人物にも当てはまります。
しかしこれはやむを得ない欠点なのかもしれません。物語中でもいわれているように、これは「デスノート」というルールの中で行われる「ゲーム」なのです。ゲームの中の敵と味方は単に敵と味方なのであって、理由があってそうなったわけではありません。各登場人物の位置づけを「そのようなものだ」という大前提として受け入れることが、「デスノート」を楽しむ秘訣なのかも知れません。
また本作をとても面白く感じた理由の一つに、本作が日本映画として「身の丈に合う」つくりだったことも上げられると思います。ご存じのように、日本映画の製作費はハリウッドなどの映画と比べると桁外れに少ないのが一般的です。そして、そのような大きな制約がある中で派手な特殊撮影や大がかりなセットなどを使用すると、とても悲しい出来になってしまうことが多いわけです。才能や技術の問題もあるかも知れませんが、なによりも「お金」の問題が日本映画には大きくのしかかっているのです。
死神のCG処理を除けば、本作ではさほどお金のかかる撮影は行われていません。つまり映像の不出来でスポイルすることなく、シナリオの面白さを表現できているわけです。なんでもハリウッドに倣った映像表現を目指すのではなく、予算規模に応じた映画づくりを目指すのも大切なのかも知れません。
本作は日本テレビの制作でありながら、配給はワーナーブラザーズ。「ひょっとしてリメイク狙ってるのかな」 そう思わせるくらい、魅力的な物語でした。
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コメント
こんばんは。
身の丈にあった映画作り。
なるほど、その方がいいかもしれませんね。
ぼくなんか、
夜神総一郎がテレビ局に乗り込むエピソードが
カットされているのが不満でしたが、
あれを日本映画でやるとチープになったかも。
投稿: えい | 2006/06/20 23:25
>テレビ局に乗り込むエピソード
やっとそこまで読み進みました(笑)。
でもこれって後編部分かもしれませんよ、二人目がでてからですから。
でも車両でつっこむのは無理でしょうね。
撮影はたぶん日本テレビ使うでしょうし。
投稿: starless | 2006/06/23 21:18
きょうちゃん吉はひょっとしなかったー。
投稿: BlogPetのちゃん吉 | 2006/06/25 11:12