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2006/02/22

NOTHING ナッシング

no 「CUBE」で名をあげた(?)ナタリ監督の新作。

自己中心的で他人とうまくやっていけないデイブ。強度の不安感から自宅に引きこもるようになってしまったアンドリュー。世間と折り合えない二人はなぜか親友同士で、アンドリューの家に同居していました。そんな二人を大きな危機が襲いました。デイブは横領の濡れ衣を着せられて警察に追われ、アンドリューは違法建築のかどで立ち退きを要求されたのです。

本作はあたかもサスペンス映画であるかのように宣伝されていますが、実態はおもいっきりコメディー映画です。たしかに二人が陥った状況はサスペンスフルではあるのですが、それを上回る二人の馬鹿さ加減が強烈です。冒頭からかなり意表をつく構成・展開で、あっけにとられてしまいます。

本作のテーマは「イヤなものがなくなったら幸せになれるのか?」だと思います。

デイブとアンドリューは憎んだものを消し去ってしまう特殊能力を持っています。折り合えない世間全般に対しての憎悪が高まったとき、アンドリューの家を除いた全ての世界が消滅してしまい、世界には二人の他に誰もいなくなってしまうのです。

当然食料などの供給もなくなるのですが、「空腹感」を消滅させることで二人はこれをしのぎます。そして大好きな「ケーブルテレビとテレビゲーム」だけの生活を送るのです。やがて二人は、コンプレックスの原因となっている「過去のイヤな記憶」を消滅させることで自分に対しての自信を取り戻していきます。

ところが、やがて二人はささいなことからケンカをし、お互いを憎むようになってしまいます。そして「消しっこ合戦」の果て、手遅れとなったときに気がつくのです。「実は憎いものなどなかったんだ」

「憎むことが目的化する」という現象は、「ヘイトクライム」なるものが蔓延する現代においては、無視できない考えです。イヤなことは消しても消してもなくならない。ならばイヤなことと折り合っていくことも大切だということでしょう。

ナタリ監督といえば低予算映画です。「CUBE」において、セットの使い回しを世界観に直結させたのも見事でしたが、本作はさらにその上をいっています。世界が消失するから何もなくなる、なにもないから映らない、セットも役者もいらないというわけです。まさにこれ以上の低予算はありません。映画でありながら映ってないわけですから。実際には特殊効果等でお金もかかっているようですが、その映像世界(なにもなさ具合)は一見の価値はあると思います。

このような企画をたてたナタリさんもナタリさんですが、お金を出した人も偉いなぁ。願わくばナタリ監督の次回作にも、ちゃんと制作費が集まりますように。

NOTHING@映画生活

#068

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コメント

気になってたんです。
観ます、コレ。面白そう。
レビュー、ありがとうございました。

投稿: つっきー | 2006/02/23 00:10

あのー、勧めてはいませんからね。
気を大きく持って、寛大な気持ちで見てあげてください。
キャッチにあるような「サスペンス」では絶対ありませんし、まちがっても「謎解き」などは期待しないでくださいね。
くれぐれもお願いします。
とりあえず「見たことない映画」は見れますです。

投稿: starless | 2006/02/23 20:33

こんにちは。

>「イヤなものがなくなったら幸せになれるのか?」

結局次から次にいやなものってでてくるんですね
人間業が深いです

でも最後にあれがぴょこたんぴょこたん
飛び跳ねていくのをみたら
最後の最後には
気づくのかもな と 妙に明るい気分になりました。

しかしあまりにもなにもない白い画面なんで
途中で一度寝ちゃいました。
サスペンスと思って借りたせいかもしれません。
DVDのジャケットとナタリ監督という
名前にちょっとだまされましたが
いやなだまされかたではなかったので
よしとしております♪

投稿: | 2006/06/19 01:21

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