アイデンティティー
嵐による交通、通信の断絶により、陸の孤島と化した一件のモーテル。運命の悪戯によりそのモーテルに集まった11人の男女。やがて一人また一人と、正体を現さない犯人の手によって命を奪われてゆく。
文字通り「嵐の山荘」と呼ばれるシチュエーション。推理小説でこのタイプと言えば、ある程度犯人探しのパターンは絞られてくるのですが、この映画は一筋縄ではいきません。随所に見られるなんとなく不自然な描写が、この「世界」自体に何らかの秘密が隠されていることをうかがわせます。
不自然と言えば、まずオープニングのみんなが集まることとなった顛末。「風が吹けば桶屋が儲かる」的な展開を時系列を逆にして見せる、というとても凝った演出。とてもおもしろいくだりなのですが、推理小説的な合理性から見ればあまりに不自然。脱獄犯が逃げ出したはずなのにモーテルに戻ってしまうという寓話的なシーンとともに「これは何かあるな」と思わせる部分です。別の護送囚同士を同一のものと観客に誤認させる「叙述トリック」や、「雨」を使って「内の世界」と「外の世界」をたくみにリンクさせていたのも見事でした。
この映画が凄いのは、いわゆる「一発ネタ」のどんでん返し映画とは違って、世界観にまつわる仕掛けが明かされたあとも、犯人探しが続行されることです(世界観のトリック自体も結構早い時点で惜しげもなく明かされてしまいます。なにしろタイトルからしてアレですし)。犯人探しで使われているトリックは「入れ替わり」で、皆が顔を知らない登場人物同士が実は入れ替わっていた、というもの。刑事と囚人の入れ替わりという点を予想できた人は多いでしょうが、映画の筋書きを見抜けた人は少なかったのでは(「血の付いたシャツ」というヒントは与えられていましたけれども)。
ここまでで二つのトリックが使われた訳ですが、ラストにはさらにもう一つのトリックが用意されています。「嵐の山荘」でおなじみの「死んだふり」です。「嵐の山荘」では増え続けていく被害者の中に犯人が含まれていることがあるので、各被害者が確実に死んでいるかどうかを確認しておく必要があります。
この映画で死亡が確認されなかった被害者は2人。このどちらが犯人であるかのヒントは与えられていたでしょうか。私が思い浮かぶのは2点。最後に正体を現すまで彼だけが一言も言葉を発しなかった(心の内を見せなかった)ことと、彼が虐待を受けていたことがほのめかされること。(まぁ見ているときは第3のトリックのことなど考えてもいませんでしたけれども) いかにもホラー映画的なエンディングで驚かせるだけではなく、ちゃんと伏線は用意されていたように思います。
いかにも映画的な大きなトリックの中に、とてもフェアな古典的トリックを二つも用意する。「なかなかやるな」 そんないい映画だったと思います。
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コメント
トラックバック、ありがとうございます。
取り急ぎ、こちらにお礼とコメントを残しに参りました。
相変わらず、鋭いレビューを書いておいでですねぇ。
私もこういうレビューを書きたいものです。
映画を観て私も感じたことが、このレビューではきちんと文章にされていて、綺麗にまとめられているのですから、本当に素晴らしいです。
私もこんな文章力が欲しい・・・。
叙述トリック・・・この言葉もstarlessさんから教わった言葉でしたね。確か、『ハイド・アンド・シーク』で。
囚人が護送されるという事実と外が”雨”(というか嵐)という事実で、確かにモーテルにやってきた囚人が裁判所に向かう途中の囚人だったのでは?と思いました。
モーテルで起こることは後から考えれば矛盾だらけです。
でも理屈に合わなくてもいいんですよね、モーテルでの出来事は所詮・・・なのですから。
観終わった後に、未消化の部分が残されていないすっきりとした良作だと思います。
投稿: つっきー | 2005/08/14 11:34
つっきーさん、こんばんは。
今日も暑い一日でした。
どんでん返しって、くらったあとに仕掛けられていた伏線がフラッシュバックするようによみがえり、「こんなにヒントがあったのに何で気がつかなかったんだろう」って悔しい思いをさせられるようなものが「いいどんでん返し」だと思うんです。
伏線が思い出せなかったり、そもそも伏線が無かったりするような「悪いどんでん返し」もありますからねぇ。
とにかくこの映画で印象に残るのは「まじめさ」ですね。丁寧に伏線を張り、ヒントには丁寧に目くらましを仕掛ける。
たとえば、本文でも書きましたが、「嵐の山荘」のパターンで考えれば、爆発で死んだと思われる死体の見つからない2人が明らかに怪しいのですが、それと同時期に発生する「今までの死体が消えてしまう」現象によって、2人の死体が見つからないことから目をそらしているのです。
実際に映画を見ているときはこんなことに気がついているわけではないのですが、見終わったとたんに色々な仕掛けが目に付いてくるこの映画は、なんとも素晴らしい「どんでん返し」だったと思います。
この映画を見られたのも、つっきーさんのところの記事のおかげです。また色々ご紹介くださいね。
でも、このタイプの映画ばかり見ていると、ほんとに疑り深く映画を見るようになってしまいますね、気を付けねば。
投稿: starless | 2005/08/14 22:24
>starlessさん
TB、コメントありがとうございました。
こちらからもさせていただきました。
鋭い分析力を読ませていただき、
とても勉強になりました。
伏線の貼り方とか、後になってみると
感心することが多く、学ぶべきところが多い
作品でした。
投稿: ユカリーヌ(月影の舞) | 2005/08/15 16:24
こんばんは、私もこの作品観て驚きました。
多重人格ものにこのような見せ方があるとは(昔ダーク・グリーンという漫画でそれぞれが出会うものもありましたが、思い出したのは1日後でした)。
時系列を逆に見せる方法もよかったですね。この作品にはいろいろと凝った方法がとられていて面白かったと思います。
久々に頭をフル回転(くるくる)させたのですが、伏線が!!どうしてこんなことが起こせたのかは説明があるまで判りませんでした。
オチ自体はキーや死体の問題でまだどんでん返しがあるのは判るもののやはり最近の映画らしいところですね。
言葉を発しなかった人は、序盤に大きな伏線があったので…でも喋らないイコール心の内を見せないという考え方はさすがですね。わたしもここを読んで気付きました。
※トラックバックさせていただきました。
投稿: ぽこ | 2005/10/05 21:20
ぽこさん、コメントありがとうございました。
私は子どもの時から推理小説、それも名探偵が出てきて「読者への挑戦」があるような、いわゆる本格推理小説が好きでした。
ただ、この手の分野はどうしてもトリックが重要であるため、次第に衰退していく宿命にあります。
しかし本作のような映画を見ると、現実世界とは違う法則に支配されている世界を舞台にすることで、まだ新しいプロットやトリックの生まれる余地があるのだなぁと思います。
小説の世界でも、ロボットやサイボーグなどが存在する未来世界を舞台にするなど、異世界を舞台にした推理小説を見かけるようになりました。
また、本格推理小説では「フェア」なこと、つまり小説中に犯人を合理的に推理できるだけの手がかりが提示されていることが重視されるのですが、本作は映画の割には非常にフェアに作られていたのが好印象でした。
投稿: starless | 2005/10/06 18:22