スクール・オブ・ロック
バンドをクビになったギタリストのデューイ。ルームメイトのネッドからも家賃未払いを理由に部屋を出ていくように宣告される。デューイは補助教員であるネッドになりすまし、学校で働くことで収入を得ようとするが、そこで出会った子どもたちに思わぬ音楽の才能を発見。そして子どもたちをロックバンドに仕立て上げ、地元のバンド・バトルの優勝賞金で一気に借金返済をもくろむのだが…
世界には2種類の人間がいることをご存じでしょうか。それは「ロックな人」と「ロックじゃない人」です。日本では「もういい大人だし、ロックは卒業する」等というように、「ロック」を一過性のものとしてとらえがちです。しかし「ロックな人」は決してロックを「卒業」したりはしないのです。
誰もがデューイのように気ままに生きることはできません。仕事に就き生活していくためには、革ジャンを脱ぎ、髪を切らなければいけない日もやってきます。しかし映画のなかでデューイが「ロックは魂だ」と言うように、たとえ姿かたちはロックじゃなくなってしまっても、「ロックな人」の魂からロックが消えることはありません。それはまるで血の中を流れているように一生その人の中からなくなることはないのです。
この映画では、最後には校長先生やネッドはデューイと子どもたちの行動に理解を示してくれます。しかしそれは、子どもたちのがんばりやデューイの熱意に心を動かされたからではありません。校長先生もネッドも、デューイ同様「ロックな人」だったからなのです。
「ロックな人」は、みんながみんなデューイのように分かりやすい格好や生き方をしているわけではありません。生活の中のさまざまなしがらみのなかで、「ロックじゃない人」と同じような格好をし、生きているのです。
デューイは「ロックは魂だ」などと口で言っているわりには、その本質がはじめはわかっていなかったのです。元パンクバンドのベーシストであるネッドに「おまえは何故やめたんだ」などと辛くあたるばかりで、ネッドの魂の中にはまだロックが生きていることに目がいかなかったのです。物語の終盤、デューイは校長先生やネッドの中に自分と同じようにロックの血が流れていることに気付き、さまざまなロックのあり方を学んだことでしょう。
同じ「ロックな人」でも、ネッドは「ロックじゃない人」の様に常識的に生きていて、デューイは世間的には「落伍者」でしょう。でもネッドは決してデューイを「駄目なヤツ」とは思っていなかったはずです。
「もし自分にもっと音楽の才能があり、もし自分が要領よく世間を渡っていけるタイプの人間じゃなかったら、きっと自分もデューイのようになっていたはずだ」
ある意味では、ネッドの様に潜伏してしまった「ロックな人」にとって、デューイは第一線で頑張り続ける代表なのです。世間のシステムにとりこまれてしまった自分に対する不甲斐なさと、あくまでも世間から逸脱しながら我が道を行くデューイへの羨望。ネッドは心の中ではデューイを理解し、応援し続けていたはずです。
この映画はアメリカではかなりのヒットを記録したようですが、それだけ「ロックな人」の割合が多いということでしょう。それはラジオでクラッシック・ロック専門局がたくさんあることからもうかがえます。しかし日本でも、数は少ないながらも「ロックな人」は生き続けているのです。満員電車の中で日経を読んでいる冴えない中年男のヘッドフォンから流れるのは、株式市況ではなく大音量のレッド・ツェッペリンかもしれません。
ロックの授業で、様々な伝説のロッカーのビデオを見ている子どもたち。自分がロックの洗礼を受けた遠い昔を思い、ちょっと涙がでてきました。
遠くに来たけれど、まだ火は消えていない。
#038
| 固定リンク
「映画・テレビ」カテゴリの記事
- マグニフィセント・セブン(2017.02.18)
- ザ・コンサルタント(2017.01.28)
- 本能寺ホテル(2017.01.23)
- アンダーワールド ブラッド・ウォーズ(2017.01.09)
- Year 2016(2016.12.30)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
トラックバックありがとうございました。
私はロックが判りません。
でもネッドや校長先生のようにロックが心の奥底からある人たちが、ラストでデューイたちのロックに心を震わせているところを観ると、自分も感動してしまいました。
今は仕事などで隠れてしまっている「ロックな人」もこの映画でずいぶんと呼び起こされてしまったのではないでしょうか。
どんな趣味でも卒業というものは自分がそう言っているだけで出来るものではないかもしれませんね。それが目の前に出たときには思い出が蘇ってくると共に、またやってやろうと思うはずです。
投稿: ぽこ | 2005/08/12 18:32
コメントありがとうございます。
昔々ある人に「趣味は一人になってからが勝負だ。一人でも続けていけなければ趣味とは言えない」と言われたことがあります。
今となっては身にしみる言葉です。
ロックだけではなく、「わかる人」と「わからない人」の重層世界はあらゆる分野にあるのでしょうね。
初めてパソコン通信を知ったとき、そこには「わかる人」たちの世界が広がっているのを知って、うれしかったですね。
いつもは一人でがんばっていても、世界のどこかに、見えないけれども仲間がいることを知るのは勇気づけられることです。
投稿: starless | 2005/08/12 23:31
こちらでネッドについて記事が書かれていて嬉しくなりました。ある意味、ネッドと同じように潜伏してしまった私。でも魂はロックのまま というの、わかります、ネッドがデューイを応援する気持ちも。そして憧れと羨望の気持ちも。
なにより映画全体がアツク、可愛らしくて
大好きでした。
投稿: くるっぱー | 2005/10/12 05:49
>くるっぱーさん
コメントありがとうございます。
ネッドで一番印象に残っているシーンは、エンドタイトルのところで、彼が子どもたちにギターを教えているシーンです。
デューイのように最前線でがんばるだけでなく、ロックには色々なレベルでの楽しみ方があるのですね。
投稿: starless | 2005/10/12 22:52