太陽の帝国
第二次世界大戦中、中国で日本軍に捕らえられたイギリス人少年の、捕虜収容所における生活を描いた作品。80年代のスティーブン・スピルバーグが「カラー・パープル」に続いて「人間ドラマ」に挑みました。
この映画は、どう見ればいいのか難しい映画でした。完全に主人公の少年ジムを中心に物語が進んでいくので、ジムの視点で映画を見ていくわけですが、このジムが何ともわかりにくい。私にとってジムは、映画の中でナガタ軍曹も言っていたように「難しい少年」でした。
冒頭から描かれているのは、飛行機好きのジムが零戦への興味から、自分たちがおかれている状況にも関わらず、かなりの親日家であることです。その後、捕虜収容所へ捕らえられ過酷な生活を強いられるようになっても、ジムの親日家ぶりは変わらない。この映画の原作小説では、「零戦」以外に彼がここまで日本に親しみを持つようになった経緯が描かれているのだろうか。映画だけ見る限りは、ジムの親日家ぶりはかなり不自然な印象を受けます。
物語の終盤、収容所の隣にある滑走路から出撃する日本軍機を敬礼で見送るジム。その直後に行われた米軍機による攻撃の際は、ムスタングを見て歓声を上げるジム。かなり支離滅裂です。収容所での彼の生活ぶりも「大変だな」「かわいそうに」と思わせるものはあっても、感情移入の度合いは高くはありません。なんとなく情緒不安定な印象が拭えないのです。
でも実際あのような状況に置かれたら、支離滅裂にも情緒不安定にもなるのが当たり前かもしれません。「逆境においても健気に成長する」といった映画的なわかりやすさを求めてばかりもいられないのかもしれません。
上海陥落後、家具を盗み出そうとしたかっての使用人に殴られたとき、ジムの「世界」は崩壊しました。その後、以前の「世界」に戻ることを夢見ながら、ジムの精神は少しずつ壊れ始めたのでしょうか。そう考えれば、少年の不自然な親日家ぶりも納得がいきます。彼の心は、単に零戦への憧れしかなかった上海時代のまま停止してしまい、その後の状況を受け入れることを拒んだのでしょう。
そして過去の思い出が詰まった大切なカバンを投げ捨てたとき、ジムは一線を越えたのでしょうか。スタジアムで、かっての「世界」を象徴する「物」の山に再会するジム。収容所においてあんなに求めた「物」があふれかえっているのに、今の彼には何の役にも立ちません。ここから彼は「物」が象徴するかっての「世界」の崩壊を追体験するのでしょうか。
収容所での食糧不足をあざ笑うかのように空から降り注ぐ食料。彼の信じていた「物」の価値観が揺らぎます。かって上海の家でそうしたように、無人の収容所内を自転車で走り回るジム。その彼の世界に踏み込んでくるのは、今度はアメリカ軍でした。再び彼は降伏します。
両親もすぐに気がつかないほど、うつろに変わり果てたジム。その目は、あんなに恋いこがれた両親の姿をもはや映してはいません。彼の心は再び収容所の中なのかもしれません。ラストシーンはうち捨てられたカバン。この映画は、一人の少年の崩壊を描いた映画なのでしょうか。
と、DVDを手にとって裏を見ると
「スピルバーグが戦争・反戦をいうテーマを持って少年の夢と成長を描いた衝撃作。」
…「夢と成長」ですか。…難しい。
#043
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