ハイド・アンド・シーク/暗闇のかくれんぼ
ロバート・デ・ニーロ主演のサスペンス。
母の自殺を目撃したのち心を閉ざしてしまった一人娘を連れて、NY郊外に移り住んだ心理学者が体験する奇妙な出来事。姿を見せない娘の新しい友達「チャーリー」の正体とは?
推理小説では「叙述トリック」と呼ばれるトリックがあります。
文章に嘘を書くわけではないのですが(嘘を書いたら推理小説になりません)、読者が誤解しやすいようなあいまいな描写や、意図的に一人称の「私」を誤認させるような構成をとることで、読者の目を真犯人からそらすようなトリックがこう呼ばれます。トリックの性質上、叙述トリックの例として作品の名前をあげてご紹介することはできません。なぜなら、叙述トリックは、叙述トリックだとおもって読まれてしまうと、上手く機能しないことが多いからです。
映画の場合は映像なので「叙述」ではないのですが、「ハイド・アンド・シーク」はこの「叙述トリック」が施されている作品です。映画の全編にわたって、「チャーリー」の正体を誤認させるための描写が施されています。
事前の宣伝が、なんとなく「叙述トリック」物かなと思わせるものだったので、なんとなくそういう目で見てしまうと、真相にたどり着くことも難しくはないでしょう。そういう意味では、あまり「驚愕のラスト」みたいな宣伝はしない方がいいのでしょうね。ある意味宣伝が「ネタバレ」になってしまうわけですから。「この小説は叙述トリックです」と帯に書いてある推理小説なんてないですからね。
この手の作品は、いわば「一発ネタ」なので、底が浅く感じる人も多いでしょう。でも、小説もそうらしいのですが、叙述トリックものは作る方は大変らしいですよ。個人的には、なかなか楽しめる映画だったと思います。「やられた!」と唸るほどでなかったのは確かですが、上手くまとまっていたのでは。
デ・ニーロ、今回はごく普通のお父さん役で楽してるな、と思ったら終盤大活躍でした。
天才子役の呼び声高いダコタ・ファニング、まだ10歳なんですね。これからどんな女優さんになるのか楽しみです。
あと、邦題に付けられている「暗闇のかくれんぼ」って、どうにかならなかったんでしょうか?「もういいかい、まぁだだよ」なんて、まるでジャパニーズか韓国ホラーですよ。あか抜けないことこの上ありません。せっかく客を呼べる人が出ているのに、あんな安っぽい宣伝じゃもったいないです。
ところで、この映画には「別エンディングヴァージョン」があるのですね。たぶん私が見た「後味悪いヴァージョン」が通常エンディングでしょうから、「別」は「後味さわやかヴァージョン」なんでしょうか?
DVDに入れて欲しいものです。
#007
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コメント
こんばんは。
トラックバックだけしておいて、コメントが遅くなってしまいました。
「叙述トリック」という言葉を初めて知りました。
starlessさんは読書家でもいらっしゃるんですね。私も昔はいろんな本(特にミステリー)を読み漁っていましたが、最近は映画に時間を取られてあまり本が読めていません。
このままじゃ、バカになっちゃうなぁ・・・。(汗)
映画に影響を受けてですが、アガサ・クリスティの作品はほとんど読みました。(かなり昔になりますから、今、読み直したら新鮮かも)
その中でstarlessさんがおっしゃっている「叙述トリック」がちりばめられた作品がありますね。タイトルは書きませんが・・・。(笑)
この映画についてですが、私は最後まで”チャーリー”の正体がわかりませんでした。
それだけでも充分、楽しめました。
でも今思えば、デ・ニーロが出ていて、「普通のお父さん」で終わるわけがないですねぇ。
役者の格がすでにネタバレになっているのかもしれません。
DVDでは多分、「別エンディング」も収録されると思いますが、私は人様のコメントから知る限りでは、「通常エンディング」の方が余韻を残してくれていて良かったんじゃないかなぁと思います。
追記:邦題のセンスの悪さは今に始まったことじゃないので諦めています。(笑)
投稿: つっきー | 2005/05/16 00:14
つっきーさん、コメントありがとうございます。
> 、「通常エンディング」の方が余韻を残してくれていて良かったんじゃないかなぁと思います。
この「通常エンディング」について、ちょっと悩んでいる(?)ことがあります。
一応「チャーリー」の正体はお父さんで、「通常エンディング」が暗示するものは「エミリーも多重人格」ということだと思うのですが、ではこの暗示が意味するものがあるのでしょうか?
「実はお父さんは正常で、エミリーがチャーリーなのだ」という解釈はちょっとないと思うのですが、「エミリーの別人格がチャーリーと一緒に一連の騒ぎを起こしたのだ」ということを意味しているのかどうかがわかりません。
「そうだ、最後にちょっとこう付け加えると、余韻が出ていいぞ」と、軽い気持ちで付け加えたのかもしれませんが(笑)。
投稿: starless | 2005/05/17 07:23
コメントが遅くなってごめんなさい。
この映画を観た大半の人が「デ・ニーロ演ずる父親が多重人格者でチャーリーだった」というオチでガッカリしたと思うんですが、本当のオチはラストシーンが暗示するエミリーも多重人格者だったということだと思うんです。
で、私もエミリーはいつから多重人格だったんだろうと悩みまして、「シカゴ発 映画の精神医学」の樺沢さんに質問メールを送りました。
私、この樺沢さんのメルマガの読者なんですが、精神科医の立場からこの映画を詳しく解説なさっています。
http://eisei.livedoor.biz/
こちらからメルマガ登録もできますので、よろしければぜひ。
私の質問内容ですが、エミリーが多重人格になったのは、
1 母親の死を見たときから
2 父と郊外に引越ししたときから
3 チャーリー(父親)と遊ぶうちに
4 チャーリー(父親)が死んで一人ぼっちになったときから
のどれが正しい解釈だろうか?というものです。
私は初め観たときは4だったのですが、考えているうちに2かもしれないと思うようになりました。
もしかしたら、メルマガの中でこのことについても解説してくれているかもしれません。
私の個人的な解釈では父と二人で暮らすことに不安を感じたエミリーが多重人格になり、もともと多重人格だった父親がエミリーの望む人格”チャーリー”を生み出した。
つまりエミリーが父親の中にチャーリーを作り出したと思っています。
投稿: つっきー | 2005/05/24 04:48
つっきーさん、いつもありがとうございます。
わたしが考えるに「チャーリー」が生まれたのは多分妻を殺したとき(なぜなら自分が妻を殺したことを父の通常人格は覚えていないから)でしょう。エミリーの「別人格」が生まれたのは1番でしょうかね(それまでは普通の家庭だったのでしょうから)。でもエミリーの別人格が「いい子」なのか「悪い子」なのかは描かれていないので、「チャーリー」と「エミリー別人格」がどのような関わりをもったのか持たなかったのかはわかりませんね。
実はもとからエミリーは「悪い子」別人格をもっていて、「悪い子」は仕事が忙しくあまり家庭をかえりみていなかった父に、「おかあさん浮気してるのかもよ」とそれとなく長い時間をかけて吹き込んでいました。父は自責の念と嫉妬心を同時に覚え、人知れず悩み続けました。そして忘年会(?)の夜、仕事柄今までずっと感情を抑制して生きてきた父から、嫉妬深く復讐心に満ちた「チャーリー」が分裂、「悪い子」に吹き込まれたとおり妻が浮気していると思いこんでついに妻を殺してしまいました。ほんとは浮気なんかしてないのに。
なんて、話だったら怖いですよね。
いろいろみんなで憶測してるのを知ったら、監督よろこぶでしょうね。
くだんのメールマガジンは私もよんでいます。まさに「深読みの極致」といったかんじでおもしろいです。でも次号からは「エピソード3」の話が始まるみたいなので、しばらく読めないかも。
投稿: starless | 2005/05/24 20:31
STARLESSさん。
はじめまして~。
こっちゃんのトコにトラバありがとうございます。「別ヴァージョン」ってあるんですね~。もっと恐かったり悲惨だったりしたらイヤだなぁ。
こちらからもトラバさせて下さいね♪
こっちゃん(^o^)/
投稿: こっちゃん | 2005/05/24 23:37
こんばんは。
「エミリー、昔から悪い子別人格」説、面白いですねぇ。
ここまで凝ったオチだったら、すごいですよね。
でも「アリ」かも?と思えてしまうだけに怖いです。
メルマガ、すでに購読中とのこと、さしでがましいことをいたしまして申し訳ありませんでした。
私は観てない映画について書かれている部分はさーっとスクロールして、観た映画のところだけ読むようにしています。(笑)
投稿: つっきー | 2005/05/25 08:29
>つっきーさん
> メルマガ、すでに購読中とのこと、さしでがましいことをいたしまして申し訳ありませんでした。
こちらこそ、情報をおよせいただきましてありがとうございました。またなにかありましたらよろしくお願いします。
投稿: starless | 2005/05/27 00:15