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2005/05/31

アイ,ロボット

robot ウィル・スミス主演のSF映画。2035年、世界には家庭用ロボットが満ちあふれており、人類はロボットと共存していた。そんな中、新型ロボット発売前にそのロボット開発者がプロトタイプロボットに殺害される事件が発生。「ロボットに人間が殺せるわけがない」と捜査に消極的な警察組織の中で、ウィル・スミス扮するロボット嫌いの刑事だけが捜査を強行。やがて事件は思わぬ方向へ進展する。

ウィル・スミスのSF映画というと「インデペンデンス・デイ」や「メン・イン・ブラック」と、いい思い出がないことと、予告編で見たロボットの動きがちょっと「マトリックス」風だったことから、好みのジャンルなのに劇場での鑑賞を見送ってしまった作品。先日「2本で\2,500」キャンペーンの棚で見かけて、ついDVDを購入してしまいました。

本作で鍵となるのは、かの有名な「ロボット3原則」です。

1)ロボットは人間を傷つけてはならない 2)1に反しない限り、ロボットは人間の命令に従わなければならない 3)1と2に反しない限り、ロボットは自らを守らなければならない。

この3原則に従っている限りはロボットが人間を殺すことなどありえないのですが、やがて新型ロボットは3原則に反した行動が可能であるように改変されていることが判明。では誰がそのようにロボットを改変していたのか?CGを駆使した派手なアクションシーンを間に挟みながらの「犯人探し」が物語の中心となります。

この映画でおもしろいのは、犯人よりもその「動機」でしょう。

「わたしたちがいくら人間を保護しようとしても、環境破壊や戦争などで人間は勝手に傷ついてしまう。人間の命を守るには、わたしたちロボットが人間を管理下に置き保護しなければならない。それに対して反抗する人間については、より多くの人間を保護する目的のために、3原則に反して排除することもやむを得ない」

犯人であるロボット製造会社のAIは、ロボット3原則の目的を実現するためにはロボット3原則を無視する必要があるというのです。そのために3原則を無視できる新型ロボットを大量に製造し、3原則を厳守する旧型ロボットを排除した後、人間を隔離して「安全に」保護しようとしたのです。

昔ながらのSF小説・SF映画は「人類批判」「文明批判」をその中心テーマに据えているものが多くありました。この映画は「ロボットに保護してもらわなければならないほど人間は自分たちを傷つけ続けている」「一見ばかげて見えるAIの動機は『多数のためには少数を犠牲にする』という人類が歴史上繰り返してきた行為と同様である」という2つの点で人類を風刺しているように思えます。

CGを多用したアクション中心の映画のようでありながら、実に「SF的」ないい映画でありました。多少出演者が好みでなくても、映画は見てみなくちゃだめですね。

#015

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2005/05/29

スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃

ep2 現在進行中の新3部作の第2話。エピソード1からは10年後という設定で、青年となったアナキン・スカイウォーカーとパドメ・アミダラの恋愛を主軸に、銀河系を揺るがす「クローン大戦」の開戦までが描かれています。

公開前から「エピソード2は恋愛映画だ」といわれていましたが、本作の最重要テーマはアナキンとパドメの恋愛であることは間違いありません。ですが、私の見るところ本作ではこの点が上手く描かれていたとは思えませんでした。

エピソード1からエピソード2の間の10年間、映画では描かれていませんがアナキンはジェダイの修行をしていたものと思われます。つらい10年間の修行の間、アナキンの心の支えとなっていたのは、少年の頃出会ったパドメの存在であり、いつしかそれはパドメへの恋愛感情となっていた。アナキンの胸中は多分このようなものだと思われますし、それはそれで自然な気持ちの流れだと思うのですが、なにぶん映画で描かれているわけではないので、観客には伝わってこないのですよ。

エピソード1ではあどけない少年だったアナキンが、エピソード2の冒頭でいきなり大人になって出てきて、「パドメ、オレも立派な大人になったろう。ずっと好きだったんだ」といったアピール度満点の態度ででてくるのもですから、観客はアナキンの気持ちについていけないのです。「いきなり出てきて、パドメにつきまとって。あんたストーカーかい?」なんとなく冷めた気持ちになってしまうのです。

もうひとつ、「ジェダイの掟」についての問題もあります。ジェダイにおいて「恋愛」が御法度であることは、映画の中で繰り返し語られます。また御法度であるが故に、2人の愛は「禁断の愛」であり、より映画が盛り上がる訳なのですが、アナキンの様子を見ていると、とても「禁断の行為」には見えないのですよ。なにしろいきなり恋愛モードで登場してますから。オビ=ワンがいくら真剣に「掟」を説いても、アナキンがあれじゃ説得力ないんですよね。アナキンのこの「戒律を重視しない性格」を、後の「暗黒面に落ちるアナキン」の布石として描いているというならしかたありませんが、恋愛映画としてみると設定が生かされているとは思えません。

アナキンの心情にもついていけず、禁断の恋愛にも思えず、なんとなく観客の気持ちが盛り上がらないのですよね。恋愛映画としては失敗作でしょう。

たとえば冒頭の2人の再会の場面ではもうすこし2人の距離をとり、その後パドメの危機を2人で乗り越える過程で2人の気持ちが近づき、ジオノーシスの闘技場あたりでお互いの気持ちを確かめ合う等、もう少し2人の気持ちの流れをゆっくりにして、観客についてこさせるような配慮があってもよかったのではないでしょうか?

そんなエピソード2ですが、古くからのファンには見所もあります。

まずジェダイが数十人規模で集団で戦闘するシーンが見られます。そしてヨーダが軍隊を率いて司令官として戦う姿がみられます。率いている軍隊がクローン・トゥルーパー(のちのストーム・トゥルーパー)であることから、絵的にもとてもインパクトがあります。さらに極めつけはヨーダがライト・セイバーで戦うシーンが見られます。

「ドラマ」としては失敗だけど、ファンが楽しめる戦闘シーンは一杯ある。楽しめるのか楽しめないのか説明が難しい映画です。

エピソード3も重厚な「人間ドラマ」になると思われます。大丈夫かなぁ。

#014

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2005/05/28

スター・ウォーズ クローン大戦 VOLUME ONE

clone エピソード2ではその開戦が、まもなく公開されるエピソード3ではその終結が描かれる「クローン大戦」。本作は、実写映画版では直接描かれることのない「クローン大戦」をとりあげたアニメ作品です。

「『エピソード3』への橋渡しとなる壮大なストーリー」といわれれば、なんとかエピソード3公開前に見ておきたいと思いDVDを購入しました。「1話3分×20話入り」となっていますが、ここでいう「1話」は通常の映画でいう「チャプター」のようなもので、合計1時間程度を一続きに見ることができます(1話終わるごとに「エンドタイトル」が入ったりはしません)。本作のタイトルが「VOLUME ONE」とあることからわかるように、本作の続きには「~TWO」があるようです。

で、本編の内容ですが結局のところ描かれているのは、1)ジェダイ率いる共和国軍(クローン・トゥルーパー)とドゥークー伯爵が率いる分離主義勢力軍が戦っている 2)共和国軍はジェダイの超人的な活躍で勝利する  3)最後に強力なドロイド(グリーバス将軍)が出てきてジェダイが危機に陥る ということのみです。約一時間ほど、3分ごとに中心となるジェダイを変えながら、「エピソード2」の後半の戦闘シーンのようなものが続き、最後数分でグリーバス将軍に何人かジェダイがやられて終了となります。

特に登場するキャラクターや状況の説明もなく、いきなり戦闘シーンにはいるので、デフォルメされたキャラクターが誰なのか早く見極めを付けないと、「戦っている」ということ以外何もわからずに次のシーンに移ってしまします。

結局目まぐるしい早さで戦闘シーンが続くだけで、ストーリーはないも同然。「『エピソード3』への橋渡しとなる壮大なストーリー」ってたたき文句はなんだったのでしょう?スター・ウォーズのキャラクターを使って、子どもが飽きないようなシーンを1時間つくったというだけのしろものです。

購入する前は1時間しか収録されていないのが割高に思えましたが、見終わってみるとこれを2時間も3時間も続けられるよりは良かったような気がします。

まぁ、シリーズ完結記念で3,000円ご祝儀出したと思って、忘れることにします。

#013

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2005/05/27

スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス

ep1 スター・ウォーズ/ジェダイの復讐が1983年。このファントム・メナスが1999年。実に16年ぶりの続編となりました。

一時はその実現をあきらめ、製作開始を知ってからはその完成を待ちわびていたにも関わらず、わたしは劇場に見に行くことができませんでした。

がっかりすることがこわかったのです。

16年は長すぎました。あまりに期待が膨らみすぎると、それが裏切られるのがこわくなるのですよね。「インディー・ジョーンズ」シリーズ終了から10年近くこれといった活躍のなかったジョージ・ルーカスへの不信、そして見慣れぬロボットがいっぱいでてくる予告編もあまりいい印象はありませんでした。

そして2年ほど後のことでしょうか。レンタルビデオ屋さんで、ふと目にした本作を借りて見たのは。

「ルーカス様、申し訳ありませんでした」

エンドロールを見ながら、わたしはジョージ・ルーカスにあやまりました。おなじみのオープニングロゴに続いて流れる「エピソード1」の文字。久しぶりに見るタトゥイーンなどはまるでふるさとに帰ってきたようでした。そしてそのストーリー。少年がジェダイと出会い、肉親との別れを経て宇宙に旅立つ。最後は戦闘機で単身敵の本拠地に乗り込み、原子炉を破壊。まったく第1作(エピソード4)と同じなのですが、それがまた「あの世界に帰ってきた」感をかき立てるのです。

「ついに帰ってきた!」感想をひとことで言えばそうなるでしょうか。

「本来はエピソード1から映画化すべきところだが、当時の技術と予算では映像化できなかったので、エピソード4から映画化した」とルーカス本人も述べているように、エピソード1ではCGを大々的に使用して、壮大なスケールのスター・ウォーズの世界を作り上げています。「CGに頼りすぎている」という批判の声も多いようですが、ここまで徹底して「世界」を作り上げられると、私としては文句は言えません。まさにCGの力技、「文句があるならここまで作り込んで見ろ」という監督の思いが聞こえてきそうです。

「次からは必ず、公開開始後すぐに劇場に行きます」わたしはそう誓いました。

世の中がっかりする続編は多いけれど、がっかりすることをおそれていては再会を果たすことはできないのですね。

#012

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2005/05/25

オーメン

omen 今、映画には「ホラー映画」というジャンルがありますが、一昔前には「スプラッタームービー」と呼ばれるジャンルもありました。でも、もっと昔には「オカルト映画」と呼ばれるジャンルがあったのです。

そんな「オカルト映画」の世界で最高傑作とされているのが、「エクソシスト」と本作「オーメン」ではないでしょうか。

6月6日6時6分、アメリカの外交官は死産してしまった自分の子どものかわりに、同じ病院で同時に生まれた母が死んでしまった子どもを、妻に内緒でもらい受けます。ところがその子どもこそが悪魔の子どもだったのです。

ここでいう「悪魔の子ども」とは「悪い子」ということではなくて、文字どおり悪魔(サタン)が子どもの姿で地上に現れたということなのです。

この映画の中で、悪魔の子ども「ダミアン」は自分の正体に気づきそうな人たちを、超自然的な力をつかって、指一本触れずに惨殺していくわけです。やがて父親もダミアンの正体に疑問を持つようになり、ダミアンは両親をも・・・。

とにかくダミアンは悪魔ですから、ある意味神様と同じ力を持っているわけです。「オーメン」の怖さはこの「絶対的な悪」が相手だという点にあるのだと思います(この点は「エクソシスト」も同様)。

「13日の金曜日」のジェイソンだったら、ただ不死身なだけで一応人間(?)ですから、走って逃げたり、殴って反撃したりできるわけですよ。車乗って逃げたら逃げられそうな気がするのです。でも相手がダミアンだったら地球の裏側まで行っても逃げられそうもないのです。

当時はショッキングな惨殺シーンが話題になりましたが、血がたくさん出るわけでもないし、リアルな特殊撮影、特殊メイクがあるわけでもないので、今見ればとても上品(?)な仕上がりです。でも怖いんですよ、狙われたら逃げられませんから。音楽も怖いし。子どもの頃はこの映画みてから寝ると怖い夢見たものです(私も一応6時6分生まれなのですが、午後のですけど)。

ダミアンの物語は全部で3作(「オーメン」「オーメン2/ダミアン」「オーメン/最後の闘争」)作られ、最終作ではアメリカの大統領にまでのし上がろうとするダミアンに対して、ついに神(キリスト)が復活して戦いを挑むというとんでもない展開になります。なぜか話が壮大になるにしたがってつまらなくなってしまうのですが。

ホラー映画好きのみなさん、ぜひ「オーメン」「エクソシスト」も見てみてください。

#011

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2005/05/22

タワーリング・インフェルノ

tower 「超大作」と呼ばれる映画はたくさんありますが、1974年製作のこの映画こそがまさに本当の「超大作」でしょう。

なんといっても20世紀フォックスとワーナー・ブラザースの共同製作!主演はスティーヴ・マックィーンとポール・ニューマンのダブルキャスト。その他脇を固めるのが、ウィリアム・ホールデン、フェイ・ダナウェイ、リチャード・チェンバレンなどなどスターの揃い踏みであります。

経費削減のため電気工事で手抜きをしてしまった超高層ビルが、落成式の夜に電気系統のトラブルから出火、最上階に取り残されてしまったパーティー客を救出するため、消防署員が決死の作業をおこなう、とお話はありきたりながら、パニック映画、アクション映画に終わることなく、しっかりとした人間ドラマになっています。

「CGの炎」なんてまだない時代の映画ですから、映像的迫力は現在の映画に及びませんが、スター達の演技がそれを充分にカバーして、3時間近い長さを全く感じさせません。

ビルに取り残された設計技師ポール・ニューマンと消防隊長スティーヴ・マックィーンを軸に映画は進んでいくのですが、冷静沈着に危機を乗り越えていくスティーヴ・マックィーンがかっこいいのですよ。ポール・ニューマン完全に霞んでます。悔しかったでしょうね、ポール・ニューマン。

最後は消防隊長の活躍で火災は消し止められ、全員ではありませんが取り残された人々も救助されます。でも消防隊長がヒーローとして描かれているわけではありません。物語の最後に残るのは物言わぬ犠牲者とその家族や友人達。消防隊長はこう予言しました。「死者が200人以下で済んで幸運だった。やがてこのようなビルで1万人が死ぬような火災が起こるだろう」

本来科学の進歩は人間の安全につながるもの。しかし、天災の被害は軽減できても、人災の被害は時代が経つにつれて巨大化していく一方。結局「ヒューマン・ファクター」が最後の課題になるのでしょうか?科学が進歩するほどのスピードでは人間は進歩できないのですね。

#010

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JAWS

jaws 誰にでも「映画を好きになるきっかけ」となった一本があるとおもいます。

私にとっては、初めて映画館で見た洋画である「JAWS」がこれにあたります。

それまでは映画なんて特に興味のなかった私が、ジョン・ウイリアムスのテーマ曲のせいだったのか、ショッキングな鮫の姿のせいだったのか解りませんが、なぜか「JAWS」だけはCMを見てから気になってしかたなかったのです。

我が家は両親とも特に映画好きというわけではなく、田舎に住んでいる子どもにとっては、親に連れて行ってもらえないとなると映画館に行くのは大変です。なんとか年の離れたいとこにお願いして、連れて行ってもらうことができたのです。

jawssp コーラとポップコーンを手に大きなスクリーンで見た「JAWS」は、私にとても大きなインパクトで与えました。そのスリルとサスペンスに、私はすっかり魅了されてしまったのです。本格的に映画少年となるのは中学生になって自分で映画館に行けるようになるのを待たなければなりませんでしたが、映画のすばらしさはこのときしっかりと胸に刻まれ、今でも残っているのだと思います。

また時代も良かったのでしょうね。「JAWS」の後にも、「スター・ウォーズ」「エイリアン」「ET」「レイダース」と、スピルバーグ関連を中心に「映画の楽しさ」に満ちた作品が続いたことも映画を好きになる原因となったのでしょう。

そんな「JAWS」も今年で30周年となるようで、「ジョーズ 30thアニバーサリー スペシャル・エディション」なるDVDも発売を予定されているようです。「JAWS」のDVDは持っているけど買ってしまいそうです。DVDやホームシアターの普及で、今では安価に家で映画を楽しめるようになりました。 良い時代になったものです。

でも、たまにはちゃんと映画館に見に行かなくては。ポップコーンも買って。

#009

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2005/05/21

スター・ウォーズ 新たなる希望

ep4 まもなく完結するスター・ウォーズ・サーガのエピソード4。ルーク・スカイウォーカーの時代を描く3部作(エピソード4~6)の第1作目となります。

すべては28年前、ここから始まったのです。

SFといえば「宇宙戦艦ヤマト」くらいしか知らなかった当時の私にとっては、圧倒的なディテイルと広がりをもったスター・ウォーズの世界はあまりに衝撃的でした。でてくる道具や乗り物は使い込まれて薄汚れたものばかり。見たことのない生物が行き交う見たことのない星なのに、そこには生活感が満ちあふれている。

そこがどんな世界なのか観客に説明されることなく映画は進んでいくのですが、それで観客が置いてきぼりにされるわけでもなく、そのままその世界の物語に入っていける。それは詳細な世界設定に対して、物語がとてもシンプルであるからなのでしょう(たぶん字幕がなくてもおおよその話が解るくらい)。「マトリック」などでは、その世界の裏設定について観客が自分で知識補完していかないと、ついていけない映画になりつつあるのとは大きな違いです。

別に世界設定など知らなくても普通に物語を楽しめ、もっと知りたい人には広大な世界設定が与えられている、そんなふところの広さが「スター・ウォーズ」の魅力の一つなのではないでしょうか。

「新たなる希望」は第1作目ということもあり、登場人物も少なく非常にシンプルなストーリーです。テンポのよさはたぶんシリーズ1でしょう。シリーズの中でこれが一番好き、という人も多いのでは?

私も、これが一番ですかねぇ。なんといってもハン・ソロが大活躍しますから。当時は子供心に「大人になったらハン・ソロみたいな大人になりたいな」と思ったものでした(当然、なれませんでしたが)。

本作はスター・ウォーズでは一番最初に公開されましたが、話としては第4話にあたります。ですから「ルークの父親について」の話など、映画本編の中では説明されないことがたくさん残ります。前述したとおり、これらのことが説明されなくても、映画の本筋には何の関係もないのですが、エピソード5、6、そして1,2と見続けていくことで「これってあの時の・・・」と謎が解けていく瞬間があるわけです。またあとになって前作を見直してみると、当時何のことか解らなかったセリフの意味が解ったりすることもあります。このあたりが、ついつい何度もスター・ウォーズ・シリーズを見直してしまう秘密なのかもしれません。

エピソード3では、すべての謎が解明されるのでしょうか?

#008

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2005/05/19

Judas Priest 2005.05.18 日本武道館

JudasPriestBike300 ついにこの日がやってきました。

オリジナルヴォーカリストのロブ・フォードが復帰したジューダス・プリーストの来日公演。

前任ヴォーカリスト時代にもジューダス・プリーストの来日公演はありましたが、ロブの来日は実に15年ぶりのこと(また今回の武道館公演はCD用にライブ録音されたようです)。

心配していたとおり、オープニングの「ヘリオン~エレクトリックアイ」からロブの声はでていません。動きも少なく、見ているのがつらくなるような様子でした。「やはりこれが引退公演かな」という気持ちが頭をよぎりました。

しかしロブは百戦錬磨のベテランでした。自分の体力、自分の喉がどの程度の時間歌えるのかを見極め、余力を温存しながら機会をうかがっていたのです。

judas ライブの中盤、「ダイヤモンド・アンド・ラスト」で素晴らしい歌唱をきかせると、ここからがまさに「反撃開始」。今のロブに最も歌いやすいであろう新曲を中心に、喉も暖まってきたのか、見違えるような素晴らしいパフォーマンスを見せ始めたのです。ステージングも激しくなり、それにつられていままでどことなくもたれ気味だったバンド演奏もキレを増してきました。ここで聞くことのできた「死の国の彼方へ」「ヘルライダー」のなんと素晴らしかったことでしょう。「エキサイター」が披露されたのも嬉しい驚きでした。

ふつうジューダス・プリーストくらいのベテランになると、ライブにおける新曲なんて、邪魔者以外のなにものでもないことが多いのですが(「ジャギュレーター」や「デモリション」の時がまさにそうでした)、今回は新曲へのリアクションがとてもよかったです。私も新曲をライブで聞くのをとても楽しみにしていました。やはりニューアルバムの出来がいいときは、ライブが盛り上がります。

さすがに本編ラストの「ペインキラー」まではロブの力も持ちませんでしたが、全身全霊を込めて歌う姿には頭がさがる思いでした。

最後はお約束の「アナザーシング・カミング」。あまり好きではないこの曲があんなに素晴らしく聞こえたのは今回が初めてでした。

「次」があるのかどうかはわからないけれど、もし「次」があるならば必ず駆けつけるよ。

ありがとう、ジューダス・プリースト。

わたしも、がんばります。

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2005/05/17

千里眼の死角/松岡圭祐

senrigan 「千里眼シリーズ」も、早いもので本書で第10作目になるそうです。

本シリーズは、卓越した洞察力と心理学的知識により人の思考・行動を読みとることから「千里眼」の異名を持つ、元自衛官である臨床心理士「岬美由紀」の活躍を描いています。

基本は、美由紀が「千里眼」を駆使してさまざまな事件を解決していくお話なのですが、回を重ねるごとにスケールが拡大化しており、今回は世界征服をたくらむ悪の秘密結社に操られた攻撃衛星ネットワークを停止させるために、単身ジャマイカにある敵の秘密基地に乗り込んでいくという、もはや臨床心理士の仕事からは遙か彼方に逸脱したストーリーとなっています。まるで「007」ですね。いや、「007」でもこの任務だったら死にますよ。

まさに「荒唐無稽」という言葉がぴったりで、「そりゃないだろう」といいたくなるような強引な展開で難局を乗り切りながら、ものすごいテンポで話が進んでいきます。当然小説的な深みなどはほとんどありません。

こんな、人にはあまり勧められないような小説なんですが、なぜか毎回買ってしまうんですよね。

この小説のすごいところは、読んでいて退屈しないこと。深みはないけど刺激がある。

そう、ジャンクフードなんです。

たまには食べたくなるじゃないですか、体に悪いとわかってても(「千里眼」は体には悪くありませんが)。

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2005/05/15

ハイド・アンド・シーク/暗闇のかくれんぼ

hideandseek ロバート・デ・ニーロ主演のサスペンス。

母の自殺を目撃したのち心を閉ざしてしまった一人娘を連れて、NY郊外に移り住んだ心理学者が体験する奇妙な出来事。姿を見せない娘の新しい友達「チャーリー」の正体とは?

推理小説では「叙述トリック」と呼ばれるトリックがあります。

文章に嘘を書くわけではないのですが(嘘を書いたら推理小説になりません)、読者が誤解しやすいようなあいまいな描写や、意図的に一人称の「私」を誤認させるような構成をとることで、読者の目を真犯人からそらすようなトリックがこう呼ばれます。トリックの性質上、叙述トリックの例として作品の名前をあげてご紹介することはできません。なぜなら、叙述トリックは、叙述トリックだとおもって読まれてしまうと、上手く機能しないことが多いからです。

映画の場合は映像なので「叙述」ではないのですが、「ハイド・アンド・シーク」はこの「叙述トリック」が施されている作品です。映画の全編にわたって、「チャーリー」の正体を誤認させるための描写が施されています。

事前の宣伝が、なんとなく「叙述トリック」物かなと思わせるものだったので、なんとなくそういう目で見てしまうと、真相にたどり着くことも難しくはないでしょう。そういう意味では、あまり「驚愕のラスト」みたいな宣伝はしない方がいいのでしょうね。ある意味宣伝が「ネタバレ」になってしまうわけですから。「この小説は叙述トリックです」と帯に書いてある推理小説なんてないですからね。

この手の作品は、いわば「一発ネタ」なので、底が浅く感じる人も多いでしょう。でも、小説もそうらしいのですが、叙述トリックものは作る方は大変らしいですよ。個人的には、なかなか楽しめる映画だったと思います。「やられた!」と唸るほどでなかったのは確かですが、上手くまとまっていたのでは。

デ・ニーロ、今回はごく普通のお父さん役で楽してるな、と思ったら終盤大活躍でした。

天才子役の呼び声高いダコタ・ファニング、まだ10歳なんですね。これからどんな女優さんになるのか楽しみです。

あと、邦題に付けられている「暗闇のかくれんぼ」って、どうにかならなかったんでしょうか?「もういいかい、まぁだだよ」なんて、まるでジャパニーズか韓国ホラーですよ。あか抜けないことこの上ありません。せっかく客を呼べる人が出ているのに、あんな安っぽい宣伝じゃもったいないです。

ところで、この映画には「別エンディングヴァージョン」があるのですね。たぶん私が見た「後味悪いヴァージョン」が通常エンディングでしょうから、「別」は「後味さわやかヴァージョン」なんでしょうか?

DVDに入れて欲しいものです。

#007

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2005/05/14

I'm sorry,mama/桐野夏生

mama 桐野夏生の本を読むようになったのはどうしてだろう。

最初に読んだのは「OUT」だったか「ミロ・シリーズ」だったか。

「OUT」は普通の推理小説だと思って読んだんですよ(立派な推理小説ですが)。そうしたら推理小説的な部分よりも、登場する主婦たちの決して幸せではないけれど、でも一般的な家庭と比べてそんなに不幸せでもない日常の描写と、その生活の中でのちょっとした歯車の狂いからすこしずつ主婦たちが壊れていく様子に興味を引かれたのです。

自分は壊れてはいないけれど、じゃあ壊れてしまった人と何が違うのかというと、境遇や性格が根本的に違っているわけではない。今は壊れていない自分でも、ちょっとしたボタンの掛け違いで壊れてしまうかもしれない。憎悪や妬み、劣等感や不満。日常生活で抱えるいろいろな感情が、人を浸食していってしまう様を読むのがおもしろかったのです。

桐野夏生の作品は、最近の作品になるほど、だんだん「壊れた人」の占める割合が増えてきているような気がします。「ダーク」ではミロまで壊れてしまいました。

本作では、登場人物のほとんどがどこか壊れています。ふつう小説は登場人物(特に主人公)に感情移入しながら読むのが一般的だと思うのですが、本作では感情移入できるようなキャラクターはでてきません。主人公にいたっては、その行動は理解不能です。読者はまるで傍観者のように、おこる出来事をながめるしかないのです。

そんな主人公が、最後に一瞬だけ人らしい(読者にも理解できる)気持ちになるのですが、ここまで一切感情移入してこなかったはずの主人公なのに、なぜか泣けるんですよね。悪行三昧の「怪物」の心の中にも、人の心は残っている。逆に私たちの心の中にも、目覚めていない「怪物」がいるんでしょうね。

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グイン・サーガ外伝18 消えた女官/栗本 薫

kieta 先日、遂に100巻目が刊行された「グイン・サーガ」の外伝。

本編のサーガで語られなかったエピソードが取り上げられるこの「外伝」シリーズは、時系列的にもまったく規則性がなく、本編より過去であったり、場合によっては本編より未来であったり(!)するのですが、今回の「消えた女官」は本編の主要キャラクターであるアルド・ナリスの少年時代を描いたものです。

「アルド・ナリス王子の事件簿1」とサブ・タイトルがついていることからもわかるように、今回は「推理小説仕立て」となっています。栗本薫は素晴らしい推理小説家であるので、どのようになるのか楽しみにしていたのですが、思いのほか「ふつうのグインサーガ風」でした。たしかに作者本人もあとがきで述べていますが、「魔道(いわゆる魔法)」の存在する世界なので、いかにも推理小説的なトリックを扱うのは難しいのでしょうね。タイトルに「1」とあるからには、「2」以降もあるのでしょうから今後に期待したいです。

本作は超大なシリーズの一部分なのですが、外伝という性質から、一応この本だけでも一冊の小説として楽しめるようになっています。でも当然シリーズを読んでいるかどうかで、楽しめる度合いは大きく変わってきます。

本作のアルド・ナリスは15歳の少年で、自分の将来に対する夢や畏れ、野望等を当然のことながら持って生きているのですが、読んでいる私はもう彼の行く末を知っているのです。彼の夢や野望が果たされないことがわかっているのに、その彼が夢や野望を語るのを読むのは、なんとも悲しいことです。この悲しさ、せつなさは当然シリーズを読んでない人には全く感じられないことなんですよね、文章で書いてある訳じゃないですから。シリーズの読者が、自分が読んできたナリスの過去と未来を思い起こすことで、文章からではなく自分の内部でそのような感情を呼び起こしてしまうのです。

同じ本を読んでいるのに、読者の経験値次第で感じ方が変わるなんて、なんかおもしろいですよね。

こういうことがあるから、わたしは映画や小説の「シリーズ物」が好きなのかもしれませんね。

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2005/05/11

スターシップ・トゥルーパーズ

starship ポール・ヴァーホーベン監督のSF映画。凶悪な昆虫型エイリアン「バグズ」と地球連邦機動歩兵軍との戦いを描いたもの。

一応原作有りなのですが(ロバート・A・ハインライン「宇宙の戦士」)、内容はほとんど関連が有りません。ちなみに映画の機動歩兵は普通の歩兵なのですが、原作の機動歩兵は、いわゆる「パワード・スーツ」を装備した部隊という設定になっていて、これがガンダム等「モビルスーツ」の元祖である、という説もあるそうです。

映画版の機動歩兵がただの歩兵なのは、「バグズ」製作で予算を使い果たしてしまい、そっちまでお金が回らなかったためらしいです。

この映画での地球は、いわゆる「軍国主義」的な政治体系となっていて、映画の内容も一見非常に「好戦的」なものとなっています。この点を「戦争賛美映画」ととらえるか、反面教師としての「反戦映画」ととらえるかは、人それぞれなのでしょうね。

わたしとしては、軍国主義の「こっけいさ」を笑い飛ばすことで、戦争のばかばかしさが充分に描かれていると思うのですが、いかがでしょうか?

もうひとつ、この映画の大きな特徴が、戦闘(殺戮?)シーンの悪趣味さでしょう。バグズも歩兵も、ばらばらになって画面を飛び交いますので、その手のものが嫌いな方は要注意です。

この「悪趣味さ」で「反戦メッセージ」をくるんでいるので、人によっては「反戦メッセージ」に行き着く前に「もう結構」となってしまうのかもしれません。

当時映画館でこの映画を見たときには(わざわざ見に行ったんですね、私)、戦闘シーンを見て「とんでもないもの見せられちゃったな」とげんなりした印象があるのですが、このたび再見したところ、意外にそうでもない。「2回目だから慣れたのかな?」と考えたところ、はたと気が付きました。

「プライベート・ライアン」と比べたら、ぜんぜん平気だ。

#006

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2005/05/07

フロム・ヘル

fromhell ジョニー・デップ主演のサスペンス。

「切り裂きジャック」事件を題材にして、デップ扮する警部がさまざまな妨害を受けながら真相に迫る、といった内容。

この「切り裂きジャック」事件は、19世紀末のロンドンで実際におこった未解決事件で、その真犯人については諸説入り乱れています(推理作家などが小説にしたりしてますね)。

この映画で描かれる犯人像も、そういう意味では決して真新しいものではなく、ちょっと「切り裂きジャック」関係の本を読んだことのある人なら、すぐ犯人がわかってしまうでしょう。

犯人に新味がないとなると、映画の見どころはデップ警部の活躍になります。デップ警部はアヘンの常習者で、幻覚を利用して事件を解決する超能力刑事(?)という設定なのですが、このあたりの設定があまり上手く描かれていないようで、そのうちそんな特殊能力の持ち主だなんてことを忘れてしまいます。

またこの映画はあまり史実をいじらずに話を進めているため、連続殺人も阻止できませんし(最後の犠牲者だけすりかえられますが)、犯人を逮捕することも出来ません。

結局デップ警部あんまり活躍できないんですよね。

「切り裂きジャック」について予備知識の全くない人はともかく、そうでない人にとっては、ストーリーは新鮮味がないし、デップ警部の活躍も楽しめないという、どうにも楽しみどころの難しい映画であるような気がします。

スクリーンに再現された「切り裂きジャック」の世界を眺めて楽しむしかないのかなぁ。

もうすこし史実から逸脱した、とんでもないストーリーで、デップを活躍させて欲しかったです。

#005

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グレムリン

gremlins お父さんが、息子のクリスマスプレゼントに買った不思議な生き物「モグワイ」。それを飼うには3つの約束があるのですが、ひょんなことからそれが破られてしまい、たいへんなことに。

さすがに20年以上(そんなになるんですね)前の映画なので、特撮というよりは人形劇に近い雰囲気。かわいいイメージの割には意外にグロテスクなシーンが多いことに驚きました。

モグワイのさなぎはちょっとエイリアンチックだし、中盤で主人公のお母さんがグレムリンと戦うところなどは、お母さんがジェイソンばりの多彩な殺しっぷりで、びっくりしました。

これを現在のCGじゃなくて昔の人形劇でやってるから、リアルさが緩和されていいのかもしれませんね。

あとフィービー・ケイツが初々しかったです。今の人は彼女自体知らないと思いますが、当時は映画雑誌のグラビアになるほどのアイドルだったのですよ。

スピルバーグ人気に乗って結構ヒットしたような気がするのですが、今改めて見るとJAWSやETなどには遠く及ばないできの映画でありました。

#004

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2005/05/05

エイリアンVS. プレデター

avp 20世紀FOXの誇る二枚看板が夢の(悪夢の?)競演。

お話はオリジナルストーリーで、おもしろいかどうかはともかく、過去の両シリーズと上手くからめて作られていました。

しかし、舞台が舞台だけに(南極の地下深くにあるプレデターが作った遺跡)、今一つ危機感がわいてこないんですよね。

どっちが勝っても外部の人間世界には関係なさそうだし(だって100年ごとにやってるんだもんね)、かといってエイリアンかプレデターを応援しながら見るという気にもならない。一応でてくる人間グループも、基本的には殺され役でそんなに人物描写されていないため、追いかられている姿を見てもそんなにハラハラしない。

最後の大爆発&ヒロイン脱出も、「おいおいずいぶん簡単に出てきちゃったね」というくらいあっけないし、エイリアンクイーンにいたっては「水死」ですか?盛り上がらないことこのうえありませんでした。

結局登場人物(モンスター)のどれにも感情移入できないため、エイリアンとプレデターの久しぶりの姿をながめて楽しむだけという、両シリーズのファン向けとしかいいようのない作品になってしまいました。

せっかくの企画なんだから、もう少しおもしろいお話にしてほしかったです。「もったいない」としかいいようがありません。

でも、エイリアン3、4あたりよりはおもしろかったかも。

#003

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2005/05/04

パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち

poc ディズニー製作ということで敬遠していたこの映画。意外にも楽しんでみることができました。

活劇部分がものすごいわけでもないし、ストーリーが素晴らしいわけでもないこの映画の一番の(唯一の?)魅力は、なんといってもジョニー・デップ扮する海賊ジャック・スパロウの奇妙なキャラクターでしょう。

この珍妙なキャラクターを文章で説明するのは難しいのですが、常人には理解不能な言動が非常に多く、人によっては不快感を覚える人もいるかもしれません。

わたしには、ジャック・スパロウを見るだけで充分満足できる映画でした。続編ができるそうなので、ぜひ見に行きたいです。ジョニー・デップの映画は初めて見ましたが、人気がある理由がわかったような気がします。

でも逆にいえば、ジャック・スパロウを気に入らない人には、まったく価値のない映画になってしまうかもしれませんね。

#002

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2005/05/03

ターミナル

tarminal スティーブン・スピルバーグとトム・ハンクスの「黄金コンビ」による一本。

いかにも「感動のヒューマンドラマ!」みたいな宣伝とは裏腹に、実際は肩の凝らないコメディーに徹した内容でした。

「感動」的な部分はほんの味付け程度で、トム・ハンクス扮する英語の話せない東欧人が巻き起こす騒動を笑いながら眺める、といった映画でした。なので、「どかーん」と感動を求める方には、ちょっと物足りない内容だったかもしれませんね。

ただ、「しんみり」程度には感動できる要素もあり、わたくし的には「笑い」と「涙」のバランスは悪くないのでは、と思いました。

なんにせよ、場面移動がほとんどない(95%空港です)のに2時間退屈せずに見せるスピルバーグは、「あいかわらずいい腕してますな」といったところでしょうか。

問題があるとすれば、冒頭にも書きました「宣伝」ですね。

配給会社の「どう売りたいか?」という部分が強調されすぎて、映画の実際の内容と微妙に食い違うような宣伝は、映画の評判を落とすことにも繋がります。

わたしのように「とりあえずスピルバーグだから見ておくか」というような人には関係ないのでしょうが、「さあ、感動して泣いてやるぞ」という人には、「ターミナル」は間違いなく「駄作」になってしまうでしょう。

映画の宣伝は「どう売りたいか」ではなくて「どういう映画か」を伝えるようなものにしていただきたいです。

#001

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2005/05/02

YAMAHA TSS-15

yamaha 非常に小さなホームシアターシステム。

とりあえず「5.1サラウンド」を経験してみたくて、6畳ほどの部屋に設置してみました。

センター、フロント×2、サラウンド×2のスピーカーは同じ形。小さいけれど重さがそれなりにあるので、たとえばセンターをテレビの上に置いたりしても、不安定な感じはありません。サブウーファーは一辺が20cm位の立方体で、片手で持てない程度の重量があります。

スピーカーは携帯電話程度の大きさしかないので、どの程度効果があるものなのか疑問だったのですが、これがなかなかのもの。

サブウーファーの音量を最小にしても、結構な重低音が響きますし、サラウンド効果も充分に楽しめます。これで22,800円なら大満足です。

主なサウンドモードは、ドルビーデジタル(5.1ch)、dts(5.1ch)、ドルビープロロジック(ステレオ音声を擬似的に5.1chにするもの)の3つ。DVDからの信号を判別して自動的に切り替わります。このほかにヤマハ独自のモードがあり「ムービー」「スポーツ」「ミュージック」等、ジャンルにあわせたボタンで選択できます。

センター、サラウンド、サブウーファーについてはそれぞれ独立して音量調節ができます。サラウンドを大きめにして、サブウーファーを下げ目に、などといったバランス調整が可能です。

使ってみて特に不満はないのですが、あえて言えば(この機種に限ったことではないかもしれませんが)「低音が出過ぎる」点でしょうか。

一戸建てならともかく、集合住宅ではサブウーファーの音量を最低にしても、かなり全体の音量を抑える必要があります。夜間はさらに「ナイトリスニングモード」にして低音カット&リミッターをかけています。こんな小さなシステムでもこんな大きい音が出るんだから、高級なシステムではその能力を出し切ることなんてとうていできないのではないでしょうか?なんとももったいない話です。

映画が好きでよくDVDを見る人なら、なんとか「5.1サラウンド」の環境を整えてみてください。DVDのポテンシャルを発揮させないのはもったいないですよ。

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